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すぐに[[堀内甲]]監督の児童向け映画『六人姉妹』に出演、この映画は翌年教育映画最優秀作品賞を受賞、同時に東映大川社長から顕彰される(教育映画は『くつした』『空をかける友情』など7本に出演)。研修所を卒業し東映児童劇団に進み、昭和36年([[1961年]])11月にクランクインした[[高倉健]]主演のアクション映画でのちにシリーズ化される『[[恋と太陽とギャング]]』に[[千葉真一]]の妹役・留美子で本格デビュー。その4か月後『[[歌う明星・青春がいっぱい]]』に[[渥美清]]の妹役・千代子として出演し、清純派としての映画スターの地位を確立する。昭和38年([[1963年]])9月タクシー乗車中に交通事故に合い額を切るなどで10日間入院するがその後復帰。
 
昭和38年([[1963(1963]])頃から清楚な容姿を生かして青春映画に出演。また透き通る清純な声で多くの青春歌謡を歌った。愛称は「チョコ<ref>「チコと一緒に」という主演ドラマは当初「チョコと一緒に」で企画されたが、番組のスポンサーだったヤクルトが反対したという。当時本間が不二家のチョコレートのCMに出演していたため、不二家を利すると考えられたのだろう。また、「“チョコっと一緒に”と聞えてイヤ」という本間自身の要望もあったとか。</ref>」。ビデオが普及する少し前だったため残された映像は少なく、幻の青春スターでもある。代表曲は『若草の丘』『愛しあうには早すぎて』『白いボール』などで、LP3枚、EP20数枚のレコードを出したが、今も人気が高く取引されている。代表主演青春映画は『君たちがいて僕がいた』『十七才のこの胸に』『あの雲に歌おう』など、一部はDVDで市販されている。
 
昭和39年([[1964年]])には日本映画製作者協会の第九回エランドール賞新人賞を[[松本幸四郎 (9代目)|市川染五郎]]や[[松原智恵子]]などと共に受ける。この頃人気は過熱し,爆破狂[[草加次郎]]を名乗るものから脅迫文が届き警察沙汰になって世間を驚かせた(草加次郎事件は未解決)。当時雑誌の人気投票で[[吉永小百合]]を抜いて1位になることもあり<ref>雑誌『[[Myojo|明星]]』、『[[Kindai|近代映画]]』の「映画スター人気投票・女優部門」では、1964年(昭和39年)度・1965年(昭和40年度)と2年連続で吉永小百合に次いで2位にランクインしていた。中間発表の段階では、吉永を押さえて1位になるケースもあった。(当時の『明星』、『近代映画』の記事による)</ref>、[[ブロマイド]]売上げでも高位をキープしていた<ref>1964年(昭和39年)の女性タレントのプロマイド売上枚数は、月間ベースでは吉永小百合を抜いて1位になる事もあったが、年間ベースでは、やはり吉永が1位、本間は2位であった。翌1965年(昭和40年)、1966年(昭和41年)にもベストテンに名を連ねていたが、1967年(昭和42年)以降は上位ランキングから姿を消している。([[マルベル堂]]資料、雑誌「近代映画」の記事による)</ref>。
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===バラエティー番組===
* [[連想ゲーム]] ([[NHK]])
* [[歌う青春カーニバル]] ([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
* [[そっくりショー]] (NTV) - 1965年7月6日(火)放送分
 
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{{singer-stub}}
{{DEFAULTSORTデフォルトソート:ほんま ちよこ}}
[[Category:日本の女性歌手]]
[[Category:日本の女優]]