「千日手」の版間の差分

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千日手の概念は江戸時代から存在していたが、終盤で駒を打ち合い、取り合う状況でしか発生しないものと考えられていた。そのためルールとしては「千日手となったときには攻め方が手を変える。どちらが攻め方か不明のときは、仕掛けた側から手を変える。」という曖昧な規定にとどまっていた。<ref group="注">一説に、千日手は仕掛けたほうが負けともされていたともいうが、公式ルールなどの整備は行われていなかったようである。</ref>ところが1927年の対局で、序盤の駒組みの段階で同じ手を繰り返す局面が発生し、対局を中断して連盟に裁決をゆだねることとなった。これが局面にかかわらず「同一手順3回」という千日手の規定を明確にした端緒となったと考えられている<ref>[http://www.webspace-jp.com/~mozu/mozuiro/moromoro/senmem.html もずいろ 記憶に残るあの千日手]による。同サイトは、この対局については『菅谷北斗星選集 観戦記篇』から情報を得たとしている。</ref>。
 
以前は「同一局面に戻る同一手順を連続3回」というルールであったが、同一局面に戻る手順が複数ある場合、このルールでは無限に指し手を続けることが可能<ref group="注">同一局面に戻る手順AとBがあるとき、A-B-BA-BAAB-BAABABBA-... と、それまでの手順を逆にしてつなげることで、同一手順3回を回避しながら同一局面を繰り返すことができる。 </ref>であるため、[[1983年]]5月に現在の「同一局面・同一手番が4回」に改定された。改定のきっかけになったのは[[1983年]][[3月8日]]の[[米長邦雄]]-[[谷川浩司]]戦([[名人戦 (将棋)|名人戦]]挑戦者決定リーグ:現在の[[順位戦]]A級)であり、この対局では60手以上千日手模様が続き、同一局面が9回出現している(谷川が打開し、米長が勝利)。また改定の際、同一手順局面の回数が問題になったが、[[武者野勝巳]]が独自に研究し、これまでの3回を4回にすれば、如何なる場合においても矛盾が生じないことを見出した。
 
===千日手に関する戦術・戦略===