「神戸ゴルフ倶楽部」の版間の差分

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海抜850mにあり、11月中旬から4月中旬は雪のためクローズする。開場当時、六甲山には外国人の別荘が建ち並んでいた。彼らのレジャーと社交の場としての利用が造成の目的であった。開場当初は4ホールであったが、その後造成し18ホール。ただパーは61。グリーンは当初は芝が生えなかったためにアラブで行われてきたサンドグリーン。フェアウェーより低く作ってあったため、「ナイスオン」ではなく「ナイスイン」といっていた。戦前に高麗芝の植生に成功させ、現在ではヴェントのグリーンになっている。戦後米軍に接収された、企業家、実業家、政治家等も会員として多かったために早々に復活し現在に至る。関西の政財界ではここと「[[広野ゴルフ倶楽部|廣野ゴルフ倶楽部]]」「[[鳴尾ゴルフ倶楽部]]」を「御三家」と呼ぶ人もいる。
 
ここからは、日本人選手として初めて全英オープンに出場した[[宮本留吉]]や日本初のプロゴルファー・[[福井覚治]]らも輩出している。彼らの残した遺産として和製ゴルフ用語の「アゲンスト」「アゲる」がある。これは外国人が「今風は順風(フォロー)か?」「いいや逆だ!(No No It's against!)」と言う語をそのまま使うようになったためと言われている(外国ではHead wind位が妥当か)。現在でも神戸ゴルフ倶楽部用語として「暫定球」を「プロビジョナル」と呼んだりとイギリス語が多用されている。
 
一時[[キャディ (ゴルフ)|ハウスキャディー]]を九州からの女子にしたことがあったが、それ以外は一貫して[[キャディ (ゴルフ)|キャディー]]は場所が急でカートが入れないこともあり男性である。[[甲南大学]]、[[神戸大学]]、[[関西学院大学]]などの学生、留学生が行っていることが多い。特に中国からの留学生は優秀であり博士号などを取得後、高等研究機関や指導者で働く者も多い。