「クロード=アドリアン・エルヴェシウス」の版間の差分

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最初の著作『精神論』は、国王の出版許可を得て1758年7月に刊行されたが、その直後にカトリック陣営から強い批判があり、同年8月出版許可が取り消され、公けに販売することができなくなった。しかしこの問題はその後さらに拡大し、11月、パリ大司教ボーモンによって弾劾され、翌年1月、刊行中の『[[百科全書]]』などとともにパリ[[高等法院 (フランス)|高等法院]]に告発された。判決は、告発された書籍の内容に応じて出され、『精神論』は2月に焚書処分の裁定を受けた。この間、エルヴェシウスは自己批判の撤回文を数度公開した
 
5月には、パリ大学神学部によって断罪された。一方、一連の騒動のあおりを受けて、『百科全書』も出版を継続することができなくなった。『精神論』同出版許可取消にはじまる一連の出版弾圧は、「精神論事件」として知られている。同どと
 
5月には、パリ大学神学部によって断罪された。一方、一連の騒動のあおりを受けて、『百科全書』も出版を継続することができなくなった。『精神論』同出版許可取消にはじまる一連の出版弾圧は、「精神論事件」として知られている>どと同ど
 
5月には、パリ大学神学部によって断罪された。一方、一連の騒動のあおりを受けて、『百科全書』も出版を継続することができなくなった。『精神論』同出版許可取消にはじまる一連の出版弾圧は、「精神論事件」として知られているどと