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|現代穴熊の陣形}}
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==「居飛車穴熊戦法」訴訟==
将棋の戦法「居飛車穴熊」の元祖が誰かをめぐり、[[将棋のアマチュア棋戦#支部名人戦|支部名人戦]]優勝1回・[[将棋のアマチュア棋戦#赤旗名人戦|赤旗名人戦]]優勝3回の実績を有するアマチュア強豪の大木和博が「考案したのは自分」として、プロ棋士の[[田中寅彦]]を相手に300万円の慰謝料の支払いと、元祖を名乗らないよう求めた訴訟。
 
[[1999年]]6月、一審の[[東京地方裁判所|東京地裁]]は「二人とも元祖や創始者と呼ばれるにふさわしい」と指摘し、慰謝料支払いの請求を棄却。
 
[[2000年]]3月、二審の[[東京高等裁判所|東京高裁]]も一審判決を支持した。
 
[[2001年]]2月22日[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]第1小法廷は、同件を上告審として受理しないことを決定した(上告棄却)。この棄却決定により、二審の東京高裁判決が確定することとなった。
 
なお[[1968年]]の第27期[[名人戦_(将棋)|名人戦]](大山4-升田0)第2局で先手番の[[升田幸三|升田幸三実力制第四代名人]]が居飛車穴熊のコンセプト<ref>当時の棋戦解説では「珍しい左穴熊」と記された。</ref><ref>棋譜は週刊将棋編「不滅の名勝負100」(毎日コミュニケーションズ)で確認できる。</ref>を後手番の[[大山康晴|大山康晴十五世名人]]の四間飛車相手に実践していた。しかし、実際に居飛車穴熊を現代戦法として再編・体系づけてプロ棋士の間に大流行させて本格的な対振り飛車攻略として定着させたのは[[田中寅彦]]の功績である。[[小倉久史]]著下町流三間飛車戦法の一節によれば、当人のコメントとして「訴えられたから戦った」そうである。また、田中以前には[[西村一義]]が居飛車穴熊戦法を何度も実戦で採用しており、田中はこの西村にも少なからず影響を受けている。
 
== 参考文献 ==
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* [[塚田泰明]]監修、[[横田稔]]著『序盤戦! 囲いと攻めの形』、高橋書店、1997年 ISBN 4-4711-3299-7
* {{Cite book ja-jp | author = [[原田泰夫]] (監修)、荒木一郎 (プロデュース) | editor = [[森内俊之]]ら | year = 2004 | title = 日本将棋用語事典 | publisher = 東京堂出版 | isbn = 4-490-10660-2}}
 
 
== 脚注 ==