「徳川家達」の版間の差分

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[[大政奉還]]・[[王政復古 (日本)|王政復古]]・[[江戸開城]]を経て、慶応4年([[1868年]])閏4月29日、新政府から慶喜に代わって徳川宗家相続を許可され、一族の[[松平斉民]]らが後見した。5月24日、[[駿府藩]]主として70万石を与えられる。11月、東京城([[皇居]])において[[明治天皇]]に拝謁。11月18日、[[従四位|従四位下]][[近衛府|左近衛権少将]]に叙任、同日さらに[[従三位]]左近衛権中将に昇叙転任する。
 
[[1869年]]([[明治]]2年)6月、[[駿府藩|静岡藩]]知事に就任し、[[徳川家]]ゆかりの地である[[駿府|駿河府中]](現:静岡市葵区)へ移住することとなる。この時、府中は不忠に通じる、ということで、駿府を静岡と改名した。
 
8月9日に江戸から出発した当時は6歳の家達に随行した御小姓頭取の伊丹鉄弥は以下のように記録している。