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[[1963年]]から本格的な生産が始まりその後も数多くの改良を重ねつつ総生産数はおよそ10,000輌。うち6,000輌が[[中国人民解放軍陸軍]]に配備されたとされる。59式戦車は以後中華人民共和国で開発される戦車の母体となり、これに[[中ソ国境紛争]]時に捕獲した[[T-62]]戦車や独自のルートで入手した[[T-72]]戦車の技術を盛り込み独自の発展を遂げた。
 
59式戦車が最初に実戦に参加したのは[[1965年]]に起きた[[第二次印パ戦争]]で、[[パキスタン陸軍]]の59式戦車が[[インド陸軍]]のT-54/55やヴィジャンタ([[ビッカースMBT (戦車)|ヴィッカーズMk.I]]のライセンス生産型)と対決したが、防御能力の低さから弾薬や燃料が誘爆する車両が続出した。その後、[[1979年]]の[[中越戦争]]では人民解放軍と[[ベトナム陸軍]]の双方が59式戦車を使用し、山岳地域では機動性に劣り苦戦したが、やはり双方が使用した[[62式軽戦車]]に対しては優位な立場にあった。しかし[[1991年]]の[[湾岸戦争]]では、[[イラク陸軍]]の59式戦車がT-54/55/62/72、69式戦車などとともに[[アメリカ陸軍]]の[[M1エイブラムス]]に対して一方的な大敗北を喫した。[[1989年]]の[[六四天安門事件]]でも運用された。
 
近年では人民解放軍に未だ配備されている59式戦車の近代化改修や、既に各国に輸出した59式戦車の改修パッケージの売り込みが熱心に行なわれている。近代改修モデルでは箱形のERA([[爆発反応装甲]])や105mm戦車砲や120mm/125mm滑腔砲も追加され延命を図っており、その内容も現在主流となっているNATO軍規格にあわせた内容となっている。中華人民共和国では最新鋭の96式戦車や99式戦車への更新が遅れている事もあり、今後しばらくは主に支援戦車として現役に留まる予定である。