「裏千家」の版間の差分

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8代又玄斎一燈は兄の表千家7代如心斎と共に千家の中興とされる。彼らは茶の湯が大衆化していく中で、新たな稽古の方法として七事式を制定するなどして千家の茶道を広めることに成功した。今日、[[三千家]]が茶道の代表格として語られるのは、流祖である千利休の高名だけでなく、この時期に広く各地の町人富裕層に普及したことも大きな要因となっている。
 
[[天明]]8年([[1788年]])正月晦日、[[天明の大火|京都で大火]]があり表裏両千家は完全に焼失している。このとき伝来の道具などは大徳寺に持ち出すことができたが、数々の茶室はすべて焼失してしまった。ほとんどは9代不見斎石翁によって翌年までに再建されている。
 
=== 幕末・明治以後 ===