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[[1995年]]、[[福留孝介]]の外れドラフト1位で[[読売ジャイアンツ|巨人]]に入団。選手在籍時の監督でもある[[原辰徳]]とは、同姓で出身高校も同じであるが、血縁上の繋がりはない。
 
強肩強打の選手として早い時期からファームの主軸打者であったが、守備位置が一定せず(ポジションは捕手・[[内野手]]・たまに外野も)、[[村田真一]]に替わる正捕手候補は[[村田善則]]や[[小田幸平]]が起用されることが多く、その後鳴り物入りで入団した[[阿部慎之助]]の打撃力の向上もあり、2軍暮らしが長く続いた。8年目の[[2003年]]に打撃力のある控え捕手として期待され初めて1軍に昇格。プロ入り初本塁打は、東京ドームの看板直撃弾であったが、2003年7月24日放送の[[すぽると!|すぽると]]で飛ぶボール問題を特集したとき、パワーヒッターではない選手の初本塁打がここまで飛ぶのかと採り上げられた。
 
2003年横浜戦で受けた唯一の死球はサヨナラとなる押し出し死球だった。