「ソリドゥス金貨」の版間の差分

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[[画像:Solidus multiple-Constantine-thessalonica RIC vII 163v.jpg|thumb|[[コンスタンティヌス1世]]を描いたソリドゥス金貨]]
[[画像:Solidus-Leo III and Constantine V-sb1504.jpg|thumb|[[レオーン3世]]と[[コンスタンティノス5世]]を描いたノミスマ]]
[[3世紀]]、[[ローマ帝国]]は「[[3世紀の危機]]」とも称される全般的な混乱期であった。政治的分裂は同世紀末に[[ディオクレティアヌス]]帝によって収拾されたものの、物価騰貴などの経済混乱は収拾したとはいえなかった。こうした中、4世紀前半にコンスタンティヌス1世が通貨の安定を図って鋳造した金貨がソリドゥス金貨の起源である。金含有量は4.48グラム(純度95.8パーセント)。[[東ローマ帝国]]の時代にも同様の金貨が流通した。
 
ソリドゥス金貨(東ローマ帝国期にはノミスマと称される)は帝国統治における経済的な主柱であり、[[6世紀]]に[[ユスティニアヌス1世]]の命によって[[トリボニアヌス]]が編纂した『[[ローマ法大全]]』においても、金貨についての取り決めを多く記した。金貨の重量と純度は歴代皇帝によって遵守されたため信頼性が高く、それゆえ数世紀にわたって各地で流通した。[[7世紀]]、東ローマ帝国領のうちの[[シリア]]・[[エジプト]]がイスラーム勢力によって征服されるが、その後もしばらくはノミスマが流通した([[ウマイヤ朝]]のカリフ、[[アブドゥルマリク]]の時代に独自に金貨が鋳造された)。その後も東ローマ帝国では[[貨幣経済]]は衰えず、都[[コンスタンティノープル]]は経済の中心地としても栄えていたことから、ノミスマは重要な役割を果たし続けた。