「園遊会」の版間の差分

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近代、天皇が主催する戸外での宴会としては、1880年開始の「観菊会」、1881年開始の「観桜会」があった。しかし[[日中戦争]]に伴い、「観菊会」が1937年に<ref name="daijisen-kangikukai">{{cite web|url=http://kotobank.jp/word/%E5%9C%92%E9%81%8A%E4%BC%9A|title=観菊会|work=[[デジタル大辞泉]]|publisher=[[コトバンク]]|accessdate=2013-10-27}}</ref>、「観桜会」が1938年に<ref name="daijirin-kanokai">{{cite web|url=http://kotobank.jp/word/%E5%9C%92%E9%81%8A%E4%BC%9A|title=観桜会|work=[[大辞林]] 第3版|publisher=[[コトバンク]]|accessdate=2013-10-27}}</ref>それぞれ中止された。
 
「園遊会」の名称で行われる行事は、[[1953年]]から始まる。当初は[[秋]]に限り行われていたが、[[1965年]]から[[春]]にも行われるようになり、現在に至る。それぞれ“秋の園遊会”、“春の園遊会”と呼ばれ、[[赤坂御用地|赤坂御苑]]で催されることが通例である。また招待者の名簿は、当初から公表をされており、春の園遊会に各国の外交使節団の団長以下の[[外交官]]や、各国[[領事館]]の館長と、その配偶者、令嬢も招待される。セキュリティ上招待者以外は入ることができないことになっているが、唯一、2014年の春の園遊会で豊田真由子衆議院議員の母が豊田真由子の配偶者と偽って侵入した例が確認されている<ref>北川仁士「前代未聞! 園遊会に『勝手に母親同伴』したエリートセンセイの言い分」『[[サンデー毎日]]』93巻21号、[[毎日新聞社]]、[[2014年]][[5月18日]]、16頁。</ref>
 
[[昭和天皇]]の病気・[[崩御]]により[[1988年]]秋と[[1989年]]春秋の園遊会が、[[1995年]]1月の[[阪神・淡路大震災]]により1995年春の園遊会が、[[香淳皇后]]崩御により[[2000年]]秋の園遊会が、[[2011年]]3月の[[東日本大震災]]により2011年春の園遊会が、[[2016年]]10月の[[三笠宮崇仁親王]]の薨去により2016年秋の園遊会が、それぞれ中止になった。