「1900年のメジャーリーグベースボール」の版間の差分

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以下は、'''[[メジャーリーグベースボール]](MLB)'''における[[1900年]]のできごとを記す。ナショナル・リーグだけの1リーグ体制はこの年が最後だった。ナショナル・リーグ傘下の[[ウェスタンリーグ_(オリジナル)|ウエスタン・リーグ]]がこの年に[[アメリカンリーグ|アメリカン・リーグ]]に名称変更し、翌1901年にメジャーリーグであると宣言したので翌年から現在に至る2リーグ体制がスタートした。
 
ナショナル・リーグでは前年まで加盟していた[[ボルチモア・オリオールズ (19世紀)|ボルチモア・オリオールズ]]、[[ワシントン・セネタース (1891-1899年)|ワシントン・セネタース]]、[[クリーブランド・スパイダーズ]]が解散し、[[ルイビル・カーネルズ]]が解散しは[[ピッツバーグ・パイレーツ]]に吸収合併されて、1892年から続いた12球団体制から8球団体制となった。この時の8チームはその後53年間フランチャイズを変えることなく、1953年にボストンがミルウォーキーに本拠地を移転するまで続き、クラシック・エイトとも呼ばれている。また8球団体制は1961球団数を10球団に増やす1962年まで62年間続いた。
 
この年は[[ロサンゼルス・ドジャース|ブルックリン・スーパーバス]]が優勝。
{{Main2|ここではMLBでのできごとのみ扱っています。野球全般のできごとについては[[1900年の野球]]を}}
 
== 二大リーグへの胎動 ==
1894年に創設されてナショナル・リーグ傘下のマイナーリーグであった[[ウェスタンリーグ_(オリジナル)|ウエスタン・リーグ]]がこの年に[[アメリカンリーグ|アメリカン・リーグ]]に名称変更し、それと同時に8球団に縮小されたナショナル・リーグから脱落したクリーブランド(現在のクリーブランド・インディアンス)にフランチャイズを置き、またナショナル・リーグの承認を経てシカゴ(シカゴ・ホワイトストッキンングスと名乗り、現在のシカゴ・ホワイトソックスとなった)にもフランチャイズ権を獲得した。そしてこの他にバッファロー、ミネアポリス、ミルウォーキー(ミルウォーキー・ブルーワーズを名乗り、その後セントルイスを経て現在のボルチモア・オリオールズとなる)、デトロイト(この当時からデトロイト・タイガースであった)、インディアナポリス、カンザスシティの8チームで1900年のリーグ戦を行い、シカゴ・ホワイトストッキングスが優勝した。
 
この年の暮れにニューヨークで開かれたナショナル・リーグの代表者会議でアメリカン・リーグ会長のバン・ジョンソンがボルチモアとワシントンにフランチャイズを置くことの承認を求めたが、ナショナル・リーグが拒否したため、翌1901年初頭にバッファロー、ミネアポリス、インディアナポリス、カンザスシティを除名して新たにボルチモア(当初ボルチモア・オリオールズを名乗り、その後ニューヨークに移転し現在のニューヨーク・ヤンキースとなる)、ワシントン(現在のミネソタ・ツインズ)、フィラデルフィア、ボストンの4チームを加盟させてメジャーリーグであると宣言し1901年から現在に至る2リーグ体制がスタートした。
== できごと ==
*[[7月7日]] [[キッド・ニコルズ]]が通算[[300勝クラブ|300勝]]を達成