「バイーアの陰謀」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
新しいページ: 「'''バイーアの陰謀'''({{lang-pt|Conjuração Baiana}})とは、1798年ポルトガル統治下のブラジル植民地で計画さ...」
 
m編集の要約なし
1行目:
'''バイーアの陰謀'''({{lang-pt|Conjuração Baiana}})とは、[[1798年]]に[[ポルトガル]]統治下の[[ブラジル]]植民地で計画された反乱である。
 
多くの仕立て屋が反乱に参加していたため、「仕立て屋の革命(Revolta dos Alfaiates)」とも呼ばれる<ref name="kinshichi2009">金七『ブラジル史』、73-74頁</ref>。また、検挙された有罪者の大多数を下層民が占めていたため、「ブラジル最初の[[社会運動]]」とも評されている<ref name="suzuki">鈴木「独立か死か」『概説ブラジル史』、67-68頁</ref>。
 
== 経緯 ==
18世紀末のバイーア([[サルヴァドール]])は約60,000の人口のうち[[黒人]]、[[ムラート]]が約40,000人を占めていたが、植民地支配の重圧は彼らに特に強い負荷をかけていた<ref name="suzuki"/>。1770年代に[[サトウキビ]]、[[綿花]]の輸出によってバイーアの農業は回復するが、利益を得たのは農園主と大商人に限られていた<ref name="kinshichi2009"/>。また、サトウキビに偏重した耕作が食糧難の原因となり、食料を得るために商店を襲撃する民衆や兵士の暴動が多発していた<ref name="kinshichi2009"/>。[[1791年]]に[[フランス]]領[[サン=ドマング]]([[ハイチ]])で発生した奴隷の反乱の影響はバイーアにも及び、革命の機運が高まっていった<ref name="kinshichi2009"/>。こうした状況下で[[フリーメーソン]]の秘密結社である「光の騎士団」をはじめとする一部のエリート層は、ポルトガル本国が課した重税に苦しむ民衆に自由・平等・友愛の思想を広めていた<ref name="kinshichi2009"/>。
 
1798年[[8月12日]]の朝、バイーアの各所に「民主バイーア最高評議会」が市民に決起を求める檄文が張り出された。檄文は民衆の革命への参加とともに、バイーアの独立、[[共和政]]の樹立、万民の平等、[[奴隷制]]の廃止、独占の禁止と貿易の自由を説いていた<ref name="kinshichi2009"/>。8月19日にはバイーア長官フェルナンド・デ・ポルトガルを大統領に選出する張り紙が現れ、翌20日に共和国宣言を発する張り紙が登場した<ref name="suzuki"/>。しかし、民主バイーア最高評議会によって大統領に選出された長官フェルナンドは、陰謀の参加者の期待に反して反乱の鎮圧を開始した<ref name="suzuki"/>。
13行目:
 
== 特徴 ==
先に起きた[[ミナスの陰謀]]の参加者が植民地のエリート層で占められていたのに対し、バイーアの陰謀は[[ムラート]]、自由身分の黒人、奴隷が運動に加わっていた<ref name="kinshichi2009"/>。バイーアの独立運動に大きな役割を果たした「光の騎士団」は[[フランス革命]]、特に急進的な[[ジャコバン派]]の影響を強く受けており、エリート層だけでなく下層民の支持も得ていた<ref name="suzuki"/>。陰謀はポルトガル本国だけでなく奴隷を所有するブラジルの支配者層にも衝撃を与えたが、ミナスの陰謀と同様に地方規模の事件にとどまり、組織化された独立運動には発展しなかった<ref name="kinshichi2014"/>。
 
== 脚注 ==