「大内順子」の版間の差分

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衆議院議員[[大内暢三]]の孫、[[生物学者]]大内義郎の次女として[[中華民国]][[上海市]]で生まれる。父が上海自然科学研究所に勤務していたため、幼少期は上海の日本人街で育つ。
 
日本へ帰国後、[[学校法人青山学院|青山学院]]へ進学し、大学在学中に[[モデル (職業)|モデル]]として活躍する。画家[[宮内裕 (画家)|宮内裕]]が学生向けファッション誌のモデルを探していたことから知り合い、後に学生結婚する。
また彼女のひときわ目立つ美貌と可憐で上品な顔立ちは、画家の[[中原淳一]]の美的世界に合致しており、彼の発行する雑誌[[それいゆ]]のグラビアに何度も登場した。
 
卒業後はモデルから評論家に転身して雑誌、新聞、ラジオ、テレビなど幅広い分野で活動し、日本におけるファッションジャーナリストの草分け的存在となる。一人娘を出産後に交通事故で顔面眼窩や頬骨大怪我を傷し以降からは、人前に出る際は必ず顔の半分ほどもある大きな[[サングラス]]を着用するようになった。
 
世界各地でファッションコンクール審査委員を歴任し、[[パリ|パリ市]]、[[ミラノ|ミラノ市]]、NYファッショングループ、FEC等から多数の受賞歴がある。2001年に仏政府から[[芸術文化勲章]]オフィシエ章を受けた。
 
宮内との間に儲けた一人娘の宮内彩は、日本やスイスの[[インターナショナル・スクール]]やアメリカの[[タフツ大学]]で学び、1990年代はファッションジャーナリストをしていたが、現在は結婚して[[ニュージーランド]]に住している。
 
[[2014年]]10月30日、胆管がんの為、[[神奈川県]][[川崎市]]内の自宅にて死去<ref>[http://www.sanspo.com/geino/news/20141107/oth14110716010022-n1.html ファッション評論家の大内順子さんが死去] サンケイスポーツ 2014年11月7日閲覧</ref>する。{{没年齢|1934|5|4|2014|10|30}}。