「エンゲルベルト・ドルフース」の版間の差分

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滞在先の[[チェゼーナ]]で事件の知らせを聞いたムッソリーニは、事件当時[[ヴェネツィア]]で休暇を過ごしていた護国団指導者[[エルンスト・シュターレンベルク]]を叱責し、シュターレンベルクは飛行機でウィーンに戻り首相代行に就任し、ミクラスの許可を得て逮捕されたフードルたちと面会した<ref>Richard Lamb, ''Mussolini and the British'', 1997, p. 149</ref>。また、ムッソリーニはオーストリア侵攻を企図していたヒトラーを牽制するために4個師団をオーストリアとの国境地帯に派遣し、同時にオーストリアの独立性をイタリアが保証することを宣言した。その後、[[ボルツァーノ]]にあるドイツの吟遊詩人[[ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ]]の像を取り外して、[[ゲルマニア]]を征服した[[ローマ帝国]]の将軍[[大ドルスス]]の像と交換した。
 
[[File:DolfusGrave of E. Dollfuß.jpg|thumb|180px|ドルフースと妻子の墓]]
ムッソリーニの強硬姿勢を見たヒトラーはドルフースの死を悼む声明を発表し、事件への関与を否定した。また、副首相[[フランツ・フォン・パーペン]]をウィーン公使に任命してオーストリアに派遣し関係改善に努め、オーストリア・ナチス党員のドイツ入国を禁止した。