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== 船歴 ==
武州丸は、[[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]の[[浅野造船所]]で建造され、1918年(大正7年)に[[進水式|進水]]した。武州丸の同型船として勢洲丸、相洲丸、対洲丸の3隻が同所で建造されており<ref name="T9senmei100" />、武洲丸型と称されることもある<ref name="iwashige45">[[#岩重|岩重(2011年)]]、45頁。</ref>。竣工時の[[トン数]]は1,219総トン<ref name="T8senmei104">[[逓信省]]管船局(編) 『大正八年 日本船名録』 帝国海事協会、1919年、104頁。</ref>。[[船尾]]に機関室、船体中央に[[船橋 (船)|船橋]]を置いた形式の小型貨物船である<ref name="meibo" />。小型船に珍しく吊上げ能力が大きなヘビー[[デリック]]を装備しているのが特色で、設備の不十分な港湾での荷役や重量物運搬に適した設計だった。本船の設計図は、後に、[[東海道本線]][[丹那トンネル]]用の25m[[軌条]]運搬を目的として浅野造船所が建造した長尺物運搬船八幡丸(日之出汽船、1,851総トン)型10隻の原型に流用されて好評を博し、小型化された豊国丸型4隻、拡大型の五十鈴丸型2隻、第二靑山丸型(D型平時標準船)47隻、1D型[[戦時標準船]]22隻、その他数隻に派生した。これら貨物船はまとめて[[日之出型貨物船]]と称された<ref name="iwashige45" />。
 
武州丸は[[浦賀]]の株式会社佐藤商店<!--佐藤商会とするウェブサイトがあるが船名録では「商店」-->が船主となり、初めは若葉丸と命名された<ref name="T8senmei104" />。同型船3隻が浅野造船所の[[在庫|ストックボート]]となり<ref name="T9senmei100" />、後に同じ[[浅野財閥]]系の日之出汽船へ引き取られたのと経緯が異なっている。その後、[[1926年]](大正15年・昭和1年)に若葉丸も日之出汽船に取得され<ref>逓信省管船局(編) 『昭和二年 日本船名録』 帝国海事協会、1927年、103頁。</ref>、翌年までに武洲丸と改名した<ref>逓信省管船局(編) 『昭和三年 日本船名録』 帝国海事協会、1928年、84頁。</ref>。