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* [[海水]]にさらされるような築[[港]]工事などで水硬性の[[モルタル]]が必要とされた。
* より強い[[コンクリート]]の開発。
産業革命時代に急成長を遂げた[[グレートブリテン王国|イギリス]]では、[[建築]]用のよい石材の[[価格]]が上がったため、高級な[[建物]]であっても[[煉瓦|レンガ]]造りにして表面を漆喰で塗り固めて石のように見せかけるのが一般化した。このため水硬性の石灰が重宝されたが、固まるまでの[[時間]]をより短くする必要性から新たなセメントの開発が促進された。中でもパーカーの[[ローマンセメント]]が有名である<ref>A J Francis, ''The Cement Industry 1796-1914: A History'', David & Charles, 1977, ISBN 0-7153-7386-2, Ch 2</ref> 。これは[[ジェームズ・パーカー]] ([[:en:James Parker (cement maker)|James Parker]]) が[[1780年代]]に[[発明]]、[[1796年]]に[[特許]]を取得した。それは実際には古代ローマで使われていたセメントとは異なるが、[[粘土]]質の[[石灰石]]を1000 - 1100 [[セルシウス度|℃]]と推定される高温で[[焼成]]し、その塊を粉砕して粉末としたセメントであり、[[天然]]の[[原料]]をそのまま使っていた。これを[[砂]]と混ぜたものがモルタルとなり、5分から15分で固まった。このローマンセメントの成功を受けて、粘土と石灰を人工的に配合して焼成してセメントを作ろうとする者が何人も現れた。
 
[[イギリス海峡]]の三代目[[エディストン灯台]]の建設(1755年 - 1759年)では、[[潮汐|満潮]]と満潮の間の12時間で素早く固まる上に、ある程度の[[強度]]を発揮する水硬性モルタルを必要とされた。この時[[土木工学]]者の[[ジョン・スミートン]]は[[生産]]現場にも出向き、入手可能な水硬性石灰の[[調査]]を徹底的に行ったことで石灰の「水硬性」は原料の石灰岩に含まれる粘土成分の比率と直接関係していることに気づいた。しかし[[土木工学]]者のスミートンはこの発見をさらに[[研究]]することはなかった。この[[原理]]は[[19世紀]]に入って[[ルイ・ヴィカー]]により再発見されたが、明らかに彼はスミートンの業績を知らなかったと思われる。[[1817年]]、ヴィカーは石灰と粘土を混合し、それを焼成して「人工セメント」を生産した。[[ジェームズ・フロスト (セメント製造)|ジェームズ・フロスト]]<ref>Francis ''op. cit.'', Ch 5</ref>はイギリスで「ブリティッシュセメント」と呼ばれるほぼ同じ製法のセメントを同時期に開発したが、特許を取得したのは[[1822年]]だった。[[1824年]]、イギリス・[[リーズ]]の[[煉瓦]]積職人[[ジョセフ・アスプディン]]が同様の製法について特許を取得し、これを「ポルトランドセメント」と称した。このポルトランドセメントは今日のセメントの主流であり、単にセメントと言った場合、この[[ポルトランドセメント]]を指すことが多い。[[ポルトランドセメント]]のつづりは、Portland cementであり、アスプディンはイギリス人であり、イングランドのポートランド島特産の石灰石の[[色調]]に似ていたことから、Portland cementと命名された。