「エミール (ルソー)」の版間の差分

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エミールの物語を通し、当時のフランス特権階級の教育のゆがみと、児童の本性を尊重して自由で自然な成長を促すことが教育の根本であることを説いている<ref name="sekai"/><ref name="daijisen"/>。
 
== 出版の経緯と弾圧 ==
== 影響 ==
ルソーは1757年末に『エミール』を執筆を計画し、翌1758年末頃にこの作品を書き始めた。1760年の10月頃には原稿を完成させ、それを保護者のリュクサンブール夫人に預けた。
1762年5月末の出版直後に、特に第4編の「サボア人司祭の信仰告白」<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%83%9C%E3%82%A2%E4%BA%BA%E5%8F%B8%E7%A5%AD%E3%81%AE%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E5%91%8A%E7%99%BD-69676 サボア人司祭の信仰告白とは] - [[ブリタニカ国際大百科事典]]/[[コトバンク]]</ref>が問題視され、ルソーは[[パリ]][[高等法院 (フランス)|高等法院]]に摘発され、[[スイス]]へと逃亡生活を送ることになり<ref name="bri"/><ref name="daijirin">[https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB-37398 エミールとは] - [[大辞林]]/[[コトバンク]]</ref>、『エミール』もパリで発禁処分となった。
 
出版は1762年5月末の。しかし出版直後から、特に第4編の「[[ボア人ヴォワ]]の助任司祭の信仰告白」<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%83%9C%E3%82%A2%E4%BA%BA%E5%8F%B8%E7%A5%AD%E3%81%AE%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E5%91%8A%E7%99%BD-69676 サボア人司祭の信仰告白とは] - [[ブリタニカ国際大百科事典]]/[[コトバンク]]</ref>が問題視され、キリスト教勢力を中心とする激しい弾圧にさらされた。具体的には、まず6月に本の押収、ーは[[ルボンヌによる告発、パリ]][[高等法院 (フランス)|高等法院]]に摘発され、[[スイス]]へと逃亡生活を送有罪判決逮捕令が続き、8月なり<ref name="bri"/><ref name="daijirin">[https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB-37398 エミールと] - [[パリ辞林]]/司教[[クリスフ・ド・ボーモン|ボーモ]]</ref>、『エミール』もパリが教書発禁処分となっ弾劾した。
他方で『エミール』は、その個性尊重・自由主義的な教育観と共に、[[ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ|ペスタロッチ]]や[[イマヌエル・カント|カント]]らをはじめとして、近代の教育学・教育論に大きな影響を与えることになった<ref name="daijirin"/><ref name="sekai"/>。
 
これに対し、ルソーは1763年3月『パリ大司教クリストフ・ド・ボーモンへの手紙』で反論したが、事態は好転しなかった。
 
== 影響 ==
他方で『エミール』は、その個性尊重・自由主義的な教育観と共に、[[ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ|ペスタロッチ]]や[[イマヌエル・カント|カント]]らをはじめとして、近代の教育学・教育論に大きな影響を与えることになった<ref name="daijirin"/><ref name="sekai"/>。
 
== 日本語訳 ==
*[[今野一雄]]訳 『エミール』(上・中・下) [[岩波文庫]]、1962年-1964年
*平岡昇訳 「エミール」『世界の大思想2』河出書房新社、1973年
*[[但田栄]]訳 『エミール』 [[大学書林]]語学文庫、2002年
*[[戸部松実]]訳 「エミール」『世界の名著30』 [[中央公論社]]、1966年