「上杉謙信」の版間の差分

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・当時、謙信のことを「男もおよばぬ大力無双」と歌った歌がある。<br>
・当時、女性城主は珍しくなく、江戸時代に入ってから[[武家諸法度]]により初めて女性城主が認められなくなった。<br>
 また、[[関ヶ原の戦い]]以前から徳川家と対立しており、やっと許しをもらったばかりの上に、[[外様大名]]で立場が弱かった[[上杉家]]が、「謙信の代でお家断絶している」と言われるのを恐れ、謙信を無理矢理男にする必要があったのでは。と考えることが出来る。<br>
・上杉謙信の肖像画は見るからに男であるが、これは江戸時代に作成されたもの。<br>
 当然、書いた本人は謙信を見たことはない上に、武家諸法度により江戸時代以降の常識では「城主=男」である。<br>
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 更に、上記の男にする必要があったためヒゲを生やした肖像画を描かせた。と考えることが出来る。<br>
 
== 国人衆 ==