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==事績==
===即位===
[[継体天皇]]と[[手白香皇女]]との間の息子である。父親の継体天皇は第15代[[応神天皇]]から分かれた傍系の出自であった。このため、先々代[[仁賢天皇]]の手白香皇女を皇后に迎え入れ、権力基盤が確保された経緯があった。従って、継体天皇は即位までの妃との間に他に沢山の子がいたが、嫡子は直系の手白香皇女との間の皇子であるこの広庭とされた。宣化天皇の妃が身罷った時に、先代安閑天皇の皇后であった[[春日山田皇女]]を中継ぎとして推薦したがこれは辞退され、まだ若い広庭が[[539年]](宣化天皇4年12月5日)に即位し欽明天皇となった。欽明は傍系が解消され現[[皇室の系図一覧|皇統]]へと続く祖となった。
 
なお、天皇が皇女を皇后とするという流れは、欽明が即位するまでに天皇に立った庶兄の[[宣化天皇]]、[[安閑天皇]]でも、それぞれ継体に続いて手白香皇女の姉妹を皇后に迎え入れ、さらに欽明自身も[[石姫皇女]]を皇后に迎えており、維持されている。[[仁徳天皇]]を唯一の例外とするこの流れは、[[聖武天皇]]妃の[[光明皇后]][[冊立]]まで続いた。