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name=石脇城|
pref=静岡県|
struct=[[城]]|
tower_struct=なし|
builders=[[今川氏]]か|
11行目:
reject_y=|
remains=土塁、曲輪|
|cultural asset = <!-- 指定文化財 -->なし
|registered cultural asset=なし
|rebuilding things = <!-- 再建造物 -->なし、標柱、解説版あり。
| latd=34|latm=53|lats= <!-- 緯度 -->19.1
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|地図=Japan Shizuoka
|ラベル=石脇城
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|アイコン=日本の城跡
|ラベル位置=bottom
}}
'''石脇城'''(いしわきじょう)は、現在の[[静岡県]][[焼津市]]石脇下字山崎にあった[[日本の城]]。築城年代は不明だが、文明年間(1469年~1487年)に今川氏の客将となっいた[[伊勢盛時]](北条早雲)が、石脇の地を与えられていたことから、盛時の居城であったと考えられている
 
== 概要 ==
静岡県中部、[[静岡平野]]と[[志太平野]]を分断する[[山塊]]の一峰、[[高草山]]の南側山裾から、[[瀬戸川 (静岡県)|瀬戸川]]の[[沖積地]]へ張り出す標高20~30mの小丘を縄張とする丘城である。
[[曲輪]]があった平坦面は「城山八幡宮」と「大日堂」と言う寺社の[[堂宇]]が建てられているが、その背後などに[[土塁]]などの[[遺構]]が残存する。
 
築城年代は不明だが、[[文明 (日本)|文明]]年間([[1469年]]~[[1487年]])に[[駿河]][[今川氏]]の客将となっていた[[伊勢盛時]](のちの北条早雲)が、石脇の地を与えられていたことから、盛時の居城であったと考えられている。
 
==参考文献==
平井 聖1978『[[日本城郭大系]]』第9巻(静岡・愛知・岐阜)新人物往来社
 
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