「浅井畷の戦い」の版間の差分

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== 影響 ==
この戦いは、北陸における「関ヶ原の戦い」であった。8月末、利長は家康の命令を受けて[[美濃国|美濃]]に進出するべく再び行動を起こす。丹羽長重は利長に降伏を申し入れたが、遂に関ヶ原本戦には間に合わなかった。更にこの時、先の戦いには参加していた利長の弟の[[前田利政]]は、居城である[[七尾城]]に篭ったまま動かず、東軍には加わらなかった(利政はかねてより西軍への参加を主張していたとも言われる。また、西軍が自分の妻子を人質に取ったことを知って出陣を躊躇したもので西軍に加わる意思はなかったとする説もある<ref>見瀬和雄「関ヶ原合戦前後における前田利政の動静」(『金沢学院大学紀要』12号、2014年/所収:大西泰正 編『シリーズ・織豊大名の研究 第三巻 前田利家・利長』(戎光祥出版、2016年) ISBN 978-4-86403-207-0))0))</ref>)。
 
しかし、北陸における西軍の奮戦は報われなかった。9月15日の本戦で西軍が壊滅したことから、越前・加賀南部の諸大名は東軍に降伏を余儀なくされ、丹羽長重や前田利政をはじめ多くの諸大名は、家康によって改易されてしまったのである。
 
== 浅井畷の戦いを扱った作品 ==
*簑輪諒「うつろ屋軍師」(学研パブリッシング、2014年)
 
== 脚注 ==
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== 参考論文 ==
*池田公一「大谷刑部と前田利長―北国計略と謀書の作成―」(花ヶ前盛明編『大谷刑部のすべて』新人物往来社、2000年)
*見瀬和雄『利家利長利常―前田三代の人と政治―』(北國新聞社、2002年)
*見瀬和雄「関ヶ原合戦前夜の北陸と前田利長―慶長五年九月五日付前田利長書状―」(佐藤孝之編『古文書の語る地方史』天野出版工房、2010年)
 
== 外部リンク ==