「田中武雄 (代議士)」の版間の差分

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[[1920年]]、[[第14回衆議院議員総選挙]]で兵庫県から出馬して当選、衆議院議員となる。以後、[[1942年]]4月の[[第21回衆議院議員総選挙|第21回総選挙]]まで、[[1928年]]2月の[[第16回衆議院議員総選挙|第16回総選挙]]を除き、通算7回の当選を果した。政党は[[憲政会]]や[[立憲民政党]]に所属した。その後、[[第2次若槻内閣]]の[[外務省|外務]][[参与官]]、[[岡田内閣]]の[[拓務省|拓務]][[政務次官]]などを歴任。また、[[1921年]]に[[ストックホルム]]で開催された第19回[[列国議会同盟]]会議や、[[1922年]]に[[ハワイ]]で開催された[[汎太平洋商業会議]]に出席した。
 
戦後は[[日本進歩党]]に所属し、[[幣原内閣]]で[[運輸大臣]]に就任した。翌年[[公職追放]]となる<ref>公職追放の該当事項は「朝鮮政務総監日政代議士会会長」。({{citation
| 和書
| title = 公職追放に関する覚書該当者名簿
| editor = 総理庁官房監査課
| publisher = 日比谷政経会
| year = 1949
| id = {{NDLJP|1276156}}
| page = [{{NDLDC|1276156/647}} 653]
| ref = harv
}} )</ref>。
 
その他、岩見銀行[[頭取]]、姫路銀行[[取締役]]、広銀行取締役、東京政情通信社長などを務めた。
 
==脚注==
戦後は[[日本進歩党]]に所属し、[[幣原内閣]]で[[運輸大臣]]に就任した。
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
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[[Category:日本の運輸大臣]]
[[Category:日本の銀行家]]
[[Category:日本の実業家]]
[[Category:衆議院議員 (帝国議会)]]
[[Category:兵庫県選出の帝国議会議員]]
[[Category:公職追放者]]
[[Category:兵庫県出身の人物]]
[[Category:1888年生]]