「バーナード・バルーク」の版間の差分

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ルーズヴェルト大統領はウィルソン大統領の影響を受けていたため、そのスタッフを自分の顧問にしていた。その中でもバルークはウィルソン時代より確立させた数々の業績によって、その活動内容や権限について議会による掣肘を受けないでいられるきわめて特権的な「影の大統領」とも言うべき立場にあり、事実上のトップ(名目は「私的顧問」でも実質的には「重要政策の指南役」)であったといわれる。
 
[[第二次世界大戦]]が始まり、軍事物資の供給が滞ったとき、ルーズヴェルトはバルークに助言を求めた。このときバルークは、「内閣レベルで全ての物流を支配し、大統領(の信任を受けた人物)がその全権を掌握するという強大な中央組織の創設」を建言する。

この方針に沿った機関の設立が進められ、1942年には彼
[[en:David Niles]]
が顧問を務める[[:en:War Production Board|ウォー・プロダクション・ボード]](WPB)が組織されるなど、その権限はまさに戦時におけるアメリカの産業戦略の最高責任者といえるものであり、彼はそこで大統領の実質的な代行として内閣レベルで指揮監督される全ての物流統制を統括していた。(ただ、いかに信頼を得ていたとはいえ、彼にゆだねられたその強大すぎる権限は彼の実質的立場が[[ルーズベルト大統領]]をしのいでいた証拠と見る向きもある。)
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彼がルーズベルト時代に行った数々の”提言”によってアメリカが第二次大戦における”最大の勝者”となったことは紛れも無い事実であるが、同時にソビエトの領土拡大を妨げていた日本とドイツを叩き潰す事で、”ソ連の延命のみならずその勢力伸張を実現させた”ことも確かな事実であり、その戦略全体を見ると、まるで「世界を資本主義と共産主義に二分することで世界規模の冷戦状態を現出させる」という方向性を持っていた。
 
この冷戦が平和時における戦争経済体制の続につながり、彼の古巣のアメリカ産業界に長期にわたる莫大な軍需をもたらす事になったわけだが、それが成り行き任せの結果だったのか、計算を働かせた上での結果だったのかはついに本人の口から語られることは無かった。
 
== 出典 ==