「屋井先蔵」の版間の差分

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屋井家石高について長岡藩の各分限帳に三百石は確認出来ないため表記を保留します
m (屋井家石高について長岡藩の各分限帳に三百石は確認出来ないため表記を保留します)
 
== 略歴 ==
文久3年12月5日に[[越後長岡藩]]士屋井家(300石)(現在の[[新潟県]][[長岡市]])に生まれる{{R|工業会}}。
 
6歳で父が死去し叔父に引き取られた。明治8年([[1875年]])に13歳で東京の[[時計]]店の[[丁稚]]となる{{R|工業会}} も、病気のため帰郷。修理工として年季[[奉公]]した後、東京高等工業学校(現:[[東京工業大学]])入学を志望したが受験に2度失敗。年齢制限もあって進学を断念し、それからの3年間は独力で[[永久機関|永久自動機]]等の研究を続けた。