「三波伸介 (初代)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
42行目:
=== てんぷくトリオ ===
{{Main|てんぷくトリオ}}
「おとぼけガイズ」を解消後は[[1961年]]東京の舞台に復帰し三波は個人として[[太田プロダクション]]に所属する一方、キャバレーの余興営業は戸塚とその劇団仲間だった[[伊東四朗]]が「三波・戸塚コンビ」として継続していた<ref>石井の時代からキャバレーとはある芸能事務所が仲介していたため、三波の失踪を隠す意図があった。これ以前にも度々三波の代役を伊東が務めている</ref>。「(ニセ)三波伸介<ref>「にせ三波伸介」という表記は伊東四朗著『この顔で悪いか』や伊東本人とのインタヴューに拠る。</ref>」として馴染み人気になっていた伊東を外す訳にはいかず<ref>西条昇『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』2000年、風塵社、58頁から引用「(三波は)『ここで伊東をクビにするのは何だから、三人でやろうか。』(伊東の述懐証言から。)」。営業先と馴染み人気になっていた伊東を外す訳にはいかなかった事情があった。</ref><ref>石井均一座解散と三波の復帰時期については資料によって違いが見られ、西条昇『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』では一座解散後にコンビから転じたトリオに復帰としている。</ref>、あらためて「本当は伊東四朗、本物の三波伸介、本人の戸塚睦夫。」とキャバレーの司会者に自己紹介し「三波戸塚伊東トリオ」の3人で営業活動を再開し、あるきっかけから「'''ぐうたらトリオ'''」に改名した。玉川良一との縁で三波は[[フジテレビ]]の[[大島正俊]][[ディレクター]]からテレビ出演の機会を掴み三波と玉川の二人共演から三波単独で引き立てられる機会が増え「'''[[石原裕次郎|裕次郎]]はタフガイ、[[小林旭]]はマイトガイ、三波伸介はモンダイガイ(問題外)'''」と笑いを取って名を売り、三波のもう一方の顔である「ぐうたらトリオ」を制作担当達に紹介し熱心に売り込み、結果トリオのテレビ出演に成功。これに注目した[[日劇]]から出演依頼が舞い込んできた。出演に際してグループ名の「ぐうたらトリオ」には品位が無いと一方的に「'''[[てんぷくトリオ]]'''」へ改名させられたが、これ以降三波伸介、[[戸塚睦夫]]と[[伊東四朗]]の三人組は舞台やテレビのバラエティ番組を中心に人気を博す。流行語にもなった三波の当たり[[ギャグ]]「'''びっくりしたなぁ、もう'''」はこの頃生まれた。
 
=== 「笑点」で司会者へ ===