「江國滋」の版間の差分

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書名訂正、リストの書名は『』で括らない、ついでに俳句関係などちょいと加筆
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[[慶應義塾大学]][[法学部]]政治学科卒。[[新潮社]]に入社したが、[[1966年]]に退社。独立後、文筆業に専念。
 
[[1969年]]に[[小沢昭一]]、[[永六輔]]らと共に、[[やなぎ句会]]を発足。[[1989年]]の『日本語八つ当たり』で[[小林よしのり]]の漫画「[[おぼっちゃまくん]]」の「[[おぼっちゃまくん#茶魔語とは|茶魔語]]」を批判的に書き、小林とテレビ番組で対決したことが「[[ゴーマニズム宣言]]」の前身「おこっちゃまくん」(第1巻に収録)に書かれている
俳人としては、[[俳諧]]味に溢れた軽妙な作風で知られ、殊に挨拶句の名手として知られた。
また長年[[日本経済新聞]]の投句欄「日経俳壇」の選者を務めた。
俳句に関しては独学に近く特定の師を持たなかったが、[[鷹羽狩行]]とは親交が深く添削なども受けていた。
 
[[1989年]]の『日本語八つ当たり』で[[小林よしのり]]の漫画「[[おぼっちゃまくん]]」の「[[おぼっちゃまくん#茶魔語とは|茶魔語]]」を批判的に書き、小林とテレビ番組で対決したことが「[[ゴーマニズム宣言]]」の前身「おこっちゃまくん」(第1巻に収録)に書かれている。
1997年に[[悪性腫瘍|食道癌]]の宣告を受ける。同年8月10日逝去。享年62。闘病中の俳句日記『おい癌め』が没後に出版される。
 
アマチュアのマジシャンとしても有名で、[[ナポレオンズ]]に「江國さんのカードマジックは話術まで入れたら世界一だ」と誉められたことを大変喜んでいた。
また座談に長け、[[エフエム東京|FM東京]](現 TOKYO FM)の番組『FM モーニング東京』の書評コーナー「江國滋の読書の散歩道」などでも知られる。
 
1997年に[[悪性腫瘍|食道癌]]の宣告を受ける。同年8月10日逝去。享年62。闘病中の句集『癌め』及び俳句日記『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』が没後に出版される。
 
長女は[[作家]]の[[江國香織]]。
 
==主要作品リスト==
*絵本・落語風土記 (1970年)
*東京探検 (1973年)
*旅はプリズム (1982年)
*トラキチ男泣き日記 (1985年)
*『スペイン絵日記』神の御意 - 滋酔郎句集(1986年)
*スペイン絵日記 (1986年)
*『日本語八ツ当り』(1989年)
*『おい癌め』滋酔郎俳句館 (19971989年)
*日本語八ツ当り (1989年)
*癌め (1997年)
*おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 (1997年)
 
== 関連項目 ==