「アウグスト・シュライヒャー」の版間の差分

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シュライヒャーは、[[1853年]]から[[プラハ・カレル大学|プラハ大学]]で比較言語学の教授を務めた。[[1857年]]からは[[フリードリヒ・シラー大学イェーナ|イェーナ大学]]で哲学の学部の教授を務めた。1853年には言語を生物と同じように分類し、さらにそれを配列して[[系統樹]]として表現した(これも[[エルンスト・ヘッケル]]による生物系統樹より早い)。のちにイェーナ大学の同僚となったヘッケルとも議論を交わしている。
 
シュライヒャーの考えには独断的な部分も多いが、[[系統樹説]]は以後の印欧語研究に決定的な影響を与え、現代まで続く[[比較言語学]]の基本的な考えとなっている。また[[印欧祖語]]の再構を試み、推定した[[祖語]]を用いて[[シュライヒャーの寓話|寓話]]を記した。
 
47歳で結核のため亡くなった。