「山形新聞」の版間の差分
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[[1876年]][[9月1日]]創刊。改題や他紙の吸収合併を経て、[[1904年]]に山形新聞に復題。[[1928年]]には従来の[[政友会]]山形県支部機関紙からの決別を宣言し、新聞社として新たな歩みを始めた。[[1940年]]、[[戦時統制]]による[[一県一紙統制]]に則り、「山形民報」「[[米澤新聞]]」「酒田毎日」「[[荘内日報]]」など10紙を統合。さらに[[1945年]]4月の[[持ち分合同 (新聞)|持ち分合同]]、抱合に当たっては[[朝日新聞社]]と提携を結んだ<ref name=yamagata714 />。戦後には社長として君臨していた[[服部敬雄]]によって形成された山形新聞・[[山形交通]]グループにおける中核企業として、県内において大きな影響力を行使していた。
[[1979年]]には山新式超高速度多色[[オフセット印刷]][[輪転機]]を使用した連日カラー印刷を開始したほか、[[1986年]]には[[富士通]]と共同開発した電算編集システム([[Computer Typesetting System|CTS]])に新聞製作を完全に移行した<ref name=yamagata714>『新版山形県大百科事典』P 714</ref>。[[1992年]]5月、[[酒田市]]山居町に山新放送庄内会館が竣工した際には庄内制作センターも稼働。山形市の本社で制作した紙面を[[デジタル回線]]による高速[[ファクシミリ]]送受信機で受信した上で、輪転機によって本社と同時印刷
県内全域に[[新聞販売店|専売店]]のネットワークを擁していることから(郊外では他紙配達の委託を受けている場合がある)、他紙に比べて[[新聞休刊日]]の設定が少ない年がある。過去には[[2000年問題]]対策の一環として、同年[[1月2日]]に新聞を発行したことがある。
[[2009年]]より、山形県外の読者向けとして、紙面データをパソコン上で読むことができる山形新聞「お届け電子版」の有料配信を開始した<ref>[http://yamagata-np.jp/e_yamashin/index.html 山形新聞「お届け電子版」]</ref>。また、2014年12月からは東京・[[銀座]]の山形県アンテナショップ「おいしい山形プラザ」で当日付の山形新聞を即売している<ref>[http://oishii-yamagata.jp/07new-item/post-705.html 山形県アンテナショップ おいしい山形プラザ]</ref>。
地元放送局である[[山形放送]](YBC)との結びつきが強く、本社や一部支社の社屋を共有しており、定時のテレビ・ラジオニュースの配信だけでなく、平日連日
== 沿革 ==
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