「ジャン・デュビュッフェ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
en:Jean Dubuffetより情報ボックスを転載
m編集の要約なし
29行目:
1923年には、デュビュッフェはハイデルベルク大学附属病院のプリンツホルンの著書『精神病者の芸術性』を入手しており、フランスとスイスの精神病院を訪ねて作品を探した<ref name="naid40005217911">{{Cite journal |和書|author1=川口幸也 |date=1999-04 |title=カヴァリング・アウトサイド-アウトサイダー・アートの政治学 |journal=Collage |issue=2 |pages=2-7}}</ref>。そうして、アドルフ・ヴェルフリの遺作、アイローズ・コルパス、ルイ・ステーに出会った<ref name="naid40005217911"/>。1945年には<ref>{{Cite journal |和書|date=2017-02|title=|journal=美術手帖|volume=69|number=1049|isbn=4910076110274|page=35}}</ref>、[[アール・ブリュット]](生の芸術)と呼んだ、強迫的幻視者や精神障害者の作品には、精神の深淵の衝動が生のままでむき出しに表出されており、ルネッサンス以降の美しい芸術(Beaux-Arts)に対して反文化的だとみなしていた<ref name="naid40005217911"/>。
 
デュビュッフェのコレクションは、1967年にパリの装飾美術館にて初めて展示され公的に認知された<ref>{{Cite book|和書|author=マーク・ギズボーン|editor=モーリス・タックマン、キャロル・S.エリエル|chaptorchapter=王様とテニス|title=パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート|year=1993|month=10|publisher=淡交社|series=|isbn=978-4-473-01301-9 }} ''Parallel Visions : Modern Artists and Outsider Art'', 1992.</ref>。1976年、デュビュフェの蒐集した作品をベースに、[[スイス]]の[[ローザンヌ]]に[[アウトサイダー・アート]]の美術館である[[アール・ブリュット・コレクション]]が開設された。
 
洗練された芸術に対する「生の芸術」は、芸術的なものとみなされるものの認識を再構築しており、美術界という制度の中で規範に従った美術作品以外の者を含め、それらを美術の種類として理解されるということであり、1960年代以降、そうした領域の芸術に関心は広まってきた<ref>{{Cite book|和書|author=ドナルド・プレツィオージ|editor=モーリス・タックマン、キャロル・S.エリエル|chaptorchapter=美術史、ミューゼオロジー、そして現代性の演出|title=パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート|year=1993|month=10|publisher=淡交社|series=|isbn=978-4-473-01301-9 }} ''Parallel Visions : Modern Artists and Outsider Art'', 1992.</ref>。
 
1985年にパリで死去。