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TempuraDON (会話 | 投稿記録)
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傭兵は「金や状況でたやすく裏切る一匹狼」や「乱暴者」、「ならず者」というイメージを持たれがちであるが、傭兵の受け入れの形態は当該組織や関連組織からの接触、もしくは過去の行動を共にした仲間からの紹介などが(直接武装組織に接触して売り込みをかける方法もあるが)大半であるため、技術は元より雇用主や傭兵同士の信用や一定の対人能力も求められ、悪質な者は排斥されるというのが実際である<!--[[高部正樹]]氏著書より-->。軍事史家のクレーナーは、傭兵は戦争の当事者であると同時に犠牲者でもあると評している<ref>{{Cite book|和書|author=鈴木直志|authorlink=鈴木直志 (歴史学者)|title=ヨーロッパの傭兵|publisher=[[山川出版社]]|year=2003|series=世界史リブレット|isbn=4634348004}} 30-31ページ</ref>。
 
国家が傭兵を使用あるいは支援を禁止することを明文化した[[傭兵の募集、使用、資金供与及び訓練を禁止する条約]]は1989年に[[国際連合総会]]において採択され、2001年に発効したが、2008年11月現在締約国は32国にとどまっている。
 
歴史的に傭兵の雇用の困難は解雇する場合に生じる場合が多い。BC240年[[第一次ポエニ戦争]]終結時、[[カルタゴ]]は解雇条件に不満を示した傭兵の反乱に悩まされ[[ハミルカル・バルカ]]に命じ鎮圧を行わせている<ref>{{Cite book|last=Wise|first=Terence|title=Armies of the Carthaginian Wars 265-146 BC|year=1982|publisher=Osprey Publishing|isbn=0850454301}}</ref>。豊臣氏は[[大坂冬の陣]]において雇い入れた浪人の処断に難渋し、それが遠因となり[[大坂夏の陣]]を招いている<ref>{{Cite book|和書|author=[[二木謙一]]|title=大坂の陣—証言・史上最大の攻防戦|year=1983|publisher=中央公論社|isbn=4121007115}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=[[笠谷和比古]]|title=関ヶ原合戦と大坂の陣|publisher=吉川弘文館|year=2007|series=戦争の日本史|isbn=4642063277}}</ref>。