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== 来歴 ==
[[東京都]]出身。
[[東京都]]出身。[[ジャズ]]・[[サクソフォーン|サックス]]奏者の父を持ち、自身も中学生の頃から[[ジャズ・クラブ]]で歌うようになる<ref>[http://www.jungle.ne.jp/junglelife/contents/column/interviews/tina.html Tinaインタビュー]</ref>。1999年4月にシングル「I'll be there」でデビュー。11月発表のデビュー・アルバム『Colorado』は、[[オリコンチャート|オリコン]]初登場1位を獲得<ref>[http://www.oricon.co.jp/artists/24908/ www.oricon.co.jp]</ref>。2000年3月、[[日本ゴールドディスク大賞]]のニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー部門を受賞<ref>[http://www.kingrecords.co.jp/tina/ www.kingrecords.co.jp]</ref>。同年、[[キリンビバリッジ]]「[[FIRE (コーヒー)|FIRE]]」の[[コマーシャルフィルム|CM]]に出演。
ジャズサックス奏者の父親の影響を受け、幼少の頃からブラックミュージックに親しむ。
 
1999年シングル『I'll be there』でメジャーデビュー。同年発売の1stアルバム『Colorado』
[[ユニバーサルミュージック (日本)|キティMME]]への移籍を機に、[[2001年]]限定で名前を '''Luv Tina''' に改名する。シングル「ココロノカタチ」発表後は海外でのライブ活動が中心となる<ref>[http://www.cdjournal.com/main/cd/disc.php?dno=3204061780 www.cdjournal.com]</ref>が、2003年にはチャリティ・プロジェクト[[VOICE OF LOVE POSSE]]にも参加し<ref>[http://www.oricon.co.jp/music/release/d/526393/1/ www.oricon.co.jp内のVOICE OF LOVE POSSE紹介ページ]</ref>、[[2004年]]に帰国。同年、キングレコード移籍、[[MACKA-CHIN]]・[[SUIKEN]]と[[ヒップホップ]][[音楽ユニット|ユニット]][[MONTIEN]]を結成。Tinaとしてはミニアルバムを発表。
はオリコン初登場1位を獲得。
日本ゴールドディスク大賞”ニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー”受賞。
同年キリンビバレッジの缶コーヒー『FIRE』のCMにも出演し話題を呼ぶ。
翌年発売のアルバム『Orario』もオリコン3位を記録。
2002年スタジオジブリ作品『猫の恩返し/ ギブリーズepisode 2』にて挿入歌
"No woman No cry"を歌唱。
2003年以降活動の拠点を海外に移す。
THE ROOTSのフックアップにより、
アメリカのニューヨーク、フィラデルフィアにて、Jill Scott等数々の女性アーティストを輩出した伝説のイベント"Black Lily"(ブラックリリー)に東洋人初のシンガーとして定期的にライブ出演。
それを機にGROOVE THEORYの女性シンガー"Amel Larrieux(アメル・ラリュー)/ 男性R&Bシンガー"Eric Roberson"(エリック・ロバーソン)そして"Tina" 3人名義でのツアーや、
アイズレー・ブラザーズのステージでの共演等、海外からも多くのアーティスト、ミュージシャンからの信頼も厚い。
 
[[2010年]]2月レーベルを[[エピックレコードジャパン]]に移し、移籍第一弾シングル『PRIDE』を発売。2012年移籍第2弾シングル『Starting Over』、アルバム『A Song For You』をリリース。アルバム収録曲『Be with you』は旅行会社HISのキャンペーンCMソングに起用される。 同年アルバム発売記念全国LIVE を実施。
以降、活動の拠点を日本に移し 精力的にLIVEを重ねている。
 
デビュー以前より 親交の深い
『NitroMicrophoneUnderground』のMC
MACKA-CHIN, SUIKENとTinaによるユニット
"MONTIEN"として活動
ミニアルバム2枚 アルバム1枚をリリースしている。
 
KING OF DIGGINことMURO率いる
KODP#22でもある。
 
== ディスコグラフィ ==