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=== 酒井家と安田財閥との関係 ===
初代頭取は[[庄内藩]]12代藩主・[[酒井忠宝 (庄内藩主)|酒井忠宝]]の長男である[[酒井忠純]]であり、[[2004年]]に死去した17代当主[[酒井忠明]]は、亡くなるまで荘銀の相談役を務めていた<ref>『荘内銀行はなぜ顧客に選ばれるのか? - 勝ち残りに賭ける、ある地銀の挑戦』p.159</ref>。また、14代当主にあたる[[伯爵]]酒井忠宝の息女銑子は、[[安田財閥]]の2代目安田善次郎(幼名善之助)のもとに嫁ぎ<ref>『資本主義の発展と地方財閥 荘内風間家の研究』</ref>その間に同財閥3代目となる[[安田一]]が誕生している。このように酒井家を介し、荘銀と[[芙蓉グループ]]の関係は古くから近しいものがある。
 
== 沿革 ==
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==== 米沢市 ====
米沢支店は、荘銀における[[置賜]]地区進出の嚆矢として、[[1949年]]11月21日、[[米沢市]]大町の米沢商業銀行跡地に開設した。その後、[[1900年]]の開設で大正の火災以後に建てられた[[ゴシック建築|ゴシック風]]の壮麗な白亜な殿堂で、市内銀行の[[メッカ (曖昧さ回避)|メッカ]]といえる風格を保ち、営業をしていた[[富士銀行]](安田銀行)米沢支店が<ref name=yonezawa />、[[上杉氏]]戦後米沢入部以来の基幹産繊維である米沢織(米織)を取り巻く状況変化波乱や、同行が東京[[丸の内]]地区に支店を新設するため<ref name=yonezawa>『米沢市史 第5巻 (現代編) 』p.495 - 496</ref>、[[1961年]]8月に振替店舗として廃止されることが決まった。これを受け荘銀は、富士銀に米沢支店の譲受を要請し、業務、店舗、社宅のほか女性行員13名の雇用を継承し、同年8月14日から中央1丁目の旧富士銀米沢支店跡地で営業を開始した<ref>『創業百年史』p.338</ref><ref group="注">その後の米沢支店の新築によって富士銀時代のから継承した建物は現存しない。</ref>。
 
[[1989年]]5月には、[[モータリゼーション]]や[[ドーナツ化現象]]の進行により、米沢市における繁華街が従来の平和通り商店街周辺から、米沢市役所の所在する金池地区周辺へと移行したため、市下3店目として同市金池五丁目に、米沢中央支店が開設し、のちに米沢支店から米沢中央支店に母店機能を移管した<ref name=shougin />。[[2008年]]3月には、[[マックスバリュ東北]]が運営を手掛けるイオンタウン米沢にイオンタウン米沢支店が開設し、[[2010年]]8月には、米沢西支店を米沢支店へ[[ブランチインブランチ]]化した<ref>{{PDFlink|[http://www.shonai.co.jp/newsrelease/2010/20100416/index.pdf SHOGIN News Release 2010年4月16日]}}</ref>。