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元亀2年([[1571年]])5月([[天正]]9年([[1581年]])説もある)、南部一族の[[津軽為信|大浦為信]]に[[石川城]]を攻められて実父・石川高信が自害する(生き延びたとする説もある)。これは石川家を弱体化させておきたい晴政が、石川家の津軽地方をかすめ取るよう大浦為信を密に唆したとの説もある。なお南部氏側資料では、石川高信は天正9年(1581年)に病死し大浦為信に攻められていないが、南部氏側の作意を示す証拠が存在する。
[[天正]]4年([[1576年]])、正室(晴政の長女)が早世すると、本人も身の危険を感じていたのか晴政の養嗣子の座を辞退し[[田子
=== 南部宗家家督相続 ===
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