「ノート:ゲーム理論」の版間の差分

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以上長くなって恐縮ですが、削除した理由を書き連ねました。何の発言もなくいきなり削除するというのはマナーに反するところがあったと思いますが、一方で議論を活発にする刺激にもなると考えたわけです。様々な方が参加してこのページがより良いものになればと思っております。--[[利用者:Iconocrasistas|Iconocrasistas]]([[利用者‐会話:Iconocrasistas|会話]]) 2017年7月12日 (水) 04:53 (UTC)
:{{追記}}長々と書きましたが、ゲーム理論を草創期から研究していた人達が異端派を自認していたのは間違いありませんし、周りの経済学者から冷たく見られていたのも事実のようです。どこかでモルゲンシュテルンのプリンストンの経済学部での扱いは散々だったという話を聞いた気がします(要出典ですね)。ただ異端派と言ったってみんながみんなロビンソン流の異端派にならなくとも良いわけでして、事実この2つの"異端派"は上で書いた通り随分異なるわけです。ゲーム理論を取り入れて現代の(主流派)経済学が誕生し、ミクロ経済学の名の下に一般均衡理論とゲーム理論が共存しているのも理由があってのことで、草創期の研究者の主観は別としてやはり共通の地盤があるんだと思った方が理解が進むのではないでしょうか。ましてロビンソン流の異端派への言及は混乱の元になりこそすれ、ゲーム理論の理解には役立たないと思います。--[[利用者:Iconocrasistas|Iconocrasistas]]([[利用者‐会話:Iconocrasistas|会話]]) 2017年7月12日 (水) 06:21 (UTC)
 
::{{返信}} 本文中で引用していたラヴォアのテキストで「異端派」と呼ばれているものは、「反・新古典派」の総称に過ぎず、ロビンソンが「異端の経済学」と呼んだものとは異なりますよ。鈴木さんや神取さんの文献ではゲーム理論を「新古典派」と対照的に紹介していたため、私は本文中でそのこと(反新古典派=異端派としてのゲーム理論の意義)を書きました。しかし、「そもそも新古典派ってなんだ?」という質問を何件も頂いたので、「新古典派および反・新古典派の特徴を紹介した文献」としてラヴォアを引用したのです。決して「ゲーム理論はロビンソンの言う『異端の経済学』だ」等と主張したつもりも、主張する気もありません。ラヴォア自身が指摘している通り「異端派」という学派が存在して何かを主張している訳では'''なく'''、新古典派以外の志向を持つ経済学を総称して「異端派」と呼んでいるだけのようです、そして、代表的な、なおかつ信頼に値する出典である鈴木や神取に合理性や「主たる対象が市場か否か」、政府介入の是非といった論点があった訳です。これらは偶然ではなく、新古典派と非新古典派の対比から必然的に言及された論点なのでしょう。--[[利用者:ミクロ経済学|ミクロ経済学]]([[利用者‐会話:ミクロ経済学|会話]]) 2017年7月19日 (水) 12:22 (UTC)
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