「ノート:ゲーム理論」の版間の差分

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::{{返信}} 本文中で引用していたラヴォアのテキストで「異端派」と呼ばれているものは、「反・新古典派」の総称に過ぎず、ロビンソンが「異端の経済学」と呼んだものとは異なりますよ。鈴木さんや神取さんの文献ではゲーム理論を「新古典派」と対照的に紹介していたため、私は本文中でそのこと(反新古典派=異端派としてのゲーム理論の意義)を書きました。しかし、「そもそも新古典派ってなんだ?」という質問を何件も頂いたので、「新古典派および反・新古典派の特徴を紹介した文献」としてラヴォアを引用したのです。決して「ゲーム理論はロビンソンの言う『異端の経済学』だ」等と主張したつもりも、主張する気もありません。ラヴォア自身が指摘している通り「異端派」という学派が存在して何かを主張している訳では'''なく'''、新古典派以外の志向を持つ経済学を総称して「異端派」と呼んでいるだけのようです、そして、代表的な、なおかつ信頼に値する出典である鈴木や神取に合理性や「主たる対象が市場か否か」、政府介入の是非といった論点があった訳です。これらは偶然ではなく、新古典派と非新古典派の対比から必然的に言及された論点なのでしょう。--[[利用者:ミクロ経済学|ミクロ経済学]]([[利用者‐会話:ミクロ経済学|会話]]) 2017年7月19日 (水) 12:22 (UTC)
::{{追記}}第4、第5の論点について説明するのを忘れていましたので追記。「いうほど"新古典派"は政府の介入を排除していたのでしょうか。」や「第五の点について、ゲーム理論が市場を通じた交換と生産とを同じフレームワークで分析できるのであれば、ことさら生産と富を強調する異端派の主張を取り上げる必要はないでしょう。」については、引用元の神取さんの論文をご覧ください、としか言いようがありません。'''ここがウィキペディアである以上'''、出典のある記述に対して「それは違うと思うなぁ」と仰られてもこちらはどうしようもありません。もちろん、神取さんの論文が[[Wikipedia:信頼できる情報源|信頼できる情報源]]ではないと仰るのであれば、話は別ですが。--[[利用者:ミクロ経済学|ミクロ経済学]]([[利用者‐会話:ミクロ経済学|会話]]) 2017年7月19日 (水) 12:29 (UTC)
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