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渚月 (会話 | 投稿記録)
m いけない思ったと→いけないと思ったと
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他の二組が自作曲で世に出たのとは違い、自身のシングル曲が職業作家からの提供曲だったことについては「俺がやったのは歌謡曲とロックの中間だよね。俺はロックの音楽家だけど、シングル盤は歌謡曲でいいと思ったわけよ。ロックやっててメジャーの世界に出るにはそれしかなかったじゃん」と当時のインタビューで述べている<ref name="週刊朝日1978630"/>。またアイドル性を狙ってグループのメンバーをルックスのいいハーフで固めるなど、戦略的に若い女性ファンの取り込みを図った<ref name="週刊朝日1978630"/>。
 
この曲のヒットでテレビの歌番組に出演することが増え、そこで当時一世を風靡した[[ピンク・レディー]]の想像を絶する忙しさと、[[五木ひろし]]や[[新沼謙治]]といった演歌歌手と共演することで、歌謡界の本物のプロの凄さを目の当たりにし、自分の道を極めなければいけない思ったと述懐している。
 
1978年7月に発表された自身3枚目のアルバム『Thrill』にて[[Godiego]]と共に楽曲の半分にて共演。