「国民防衛軍事件」の版間の差分
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== 概要 ==
[[ファイル:국민방위군 사령관 총살형.jpg|thumb|250px|銃殺刑に処される国民防衛軍幹部([[1951年]][[8月12日]])<ref name=Newsis/>]]
[[ファイル:Shin sung.jpg|thumb|150px|事件の黒幕と見られた[[申性模]]国防部長官]]
[[File:Kw attack3.JPG|thumb|left|250px|朝鮮戦争の前線の推移(1950年10月24日~1951年1月8日)。1951年1月4日~1月8日にかけて前線が一気に南下した。]]
国民防衛軍は、「国民防衛軍設置法([[1950年]][[12月
[[朝鮮戦争]]を戦っていた[[韓国軍]]は一時期中朝国境付近にまで進軍したが、[[中国人民志願軍|中国義勇軍]]の参戦(1950年[[10月19日]])によって戦局が悪化
この事件は[[国会 (大韓民国)|国会]]で暴露され、真相調査団が設置された。調査の結果、人員数の水増し報告により国庫金23億[[大韓民国ウォン|ウォン]]、糧穀5万2000[[石 (単位)|石]]が着服・横領され、食料品費の計上額と実際の執行額・調達額の差が約20億ウォンに上ることが明らかとなった。また、着服金の一部が[[李承晩]][[大統領 (大韓民国)|大統領]]の政治資金として使われたことも明かされ、[[李始栄]][[副大統領]]と、事件の黒幕と見られた[[申性模]][[国防部 (大韓民国)|国防部]]長官が辞任した。
翌[[1951年]][[4月30日]]、国会は防衛軍の解散を決議し、[[5月12日]]に解体された。同年[[7月19日]]に中央高等[[軍法会議]]が開かれ、国民防衛軍司令官[[金潤根]](キム・ユングン、{{lang|ko|김윤근}})、副司令官[[尹益憲]](ユン・イクホン、{{lang|ko|윤익헌}})など5人に[[死刑]]が言い渡され<ref>{{cite web
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