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各国の駐華公使は[[北京議定書|辛丑条約]]に基づき、次々と公使館の安全確保のため軍隊を集め北京に入れた。兵変は[[保定]]および[[天津]]地区にまで広がった。
これにより、北京市街の商業人は袁世凱に南京に行かないよう請願し、副総統[[黎元洪]]は全国に電報を発し「南京を離れても国は乱れないが、北京を離れれば必ず滅ぶ。」と表明した。南方の各省はこれに次々と同調した。
この情勢に、蔡元培は欺かれ、[[3月2日]]に[[南京政府]]に電報を発し、参議院が臨時政府の首都を北京に確定し、袁世凱の南京入りを必要としないと速やかに同意することを要求した。[[孫文]]は譲歩するしかない状況となり、[[3月6日]]、南京臨時参議院は袁世凱が北京で臨時大総統就任することを認めた。[[3月10日]]袁世凱は北京石大人胡同<ref>北京市東城区の北京協和病院の向かい</ref>の清朝外務部庁舎で臨時大総統に就任した。
 
== 脚注 ==
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* [[清]]
* [[中華帝国 (1915年-1916年)|中華帝国]]
* [[中国関係記事の一覧]] 1912~1949 - 1912〜1949年の中華民国に関する記事の一覧
 
== 外部リンク ==
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[[Category:中華民国の政治]]
[[Category:北京の歴史]]
[[Category:中国におけるクーデター]]
[[Category:1912年の戦闘]]