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[[昭和]]初期の霊柩車は主に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]製高級車[[パッカード]]を改造したものが多かったという。戦前日本においては上流層の自家用や官公庁の公用車としてパッカードは好んで用いられ、そのボディが老朽化した後も丈夫で高品質だったエンジンとシャーシは再利用に耐えたことから、旧型の払下げパッカードは霊柩車ベースに多用されたのである。[[イギリス]]では同様な理由で最高級車[[ロールス・ロイス]]の中古車が霊柩車に改造されて使用される事例が多く、「誰でもいつかはロールス・ロイスに乗れる」(→死んで棺に入った時)などと揶揄された。アメリカ車は日本車やヨーロッパ車に比べて概して大型であり、比較的遅い時期までボディから独立したシャーシを備えた旧式設計を継続していたこと、エンジン出力が大きかったことなどで、重く大きな霊柩車ボディを載せやすく、日本では1990年代まで霊柩車への改造ベースに好んで用いられていた。
 
[[2015年]]現在、日本では約6000台の霊柩車が登録され年間500台が更新されている。全国に約10社の改造メーカーがあり、特に手の込んだ改造ができる会社は6社である。霊柩車のほか、[[ワゴン車]]を改造した搬送車や、[[遺体]]を洗浄する設備を搭載した[[湯灌車]]も造られているが、すべて[[オーダーメイド]]である。[[光岡自動車]]は乗用車製造で培ったノウハウを応用し、個性的なフロントマスクの霊柩車を開発・販売している。
古くより「霊柩車を見たら、親の死に目に会えないから、親指を隠せ」との俗言がある<ref name="zasshi.news.yahoo.co">[http://dot.asahi.com/dot/2015110100026.html プリウスを真っ二つ!? 霊きゅう車「改造工場」に潜入した! 11月5日(木)16時14分配信 若林朋子]</ref>。むろん[[迷信]]であるが、出どころは詳らかでない。
 
[[2015年]]現在、日本では約6000台の霊柩車が登録され年間500台が更新されている。全国に約10社の改造メーカーがあり、特に手の込んだ改造ができる会社は6社。霊柩車のほか、[[ワゴン車]]を改造した搬送車や、[[遺体]]を洗浄する設備を搭載した[[湯灌車]]も造られているが、すべて[[オーダーメイド]]である。[[光岡自動車]]は乗用車製造で培ったノウハウを応用し、個性的なフロントマスクの霊柩車を開発・販売している。
 
[[1990年代]]までは[[アメリカ]]製の「バン型」を輸入し使用することが多かったが、近年は国産車を改造した霊柩車が普及し、[[光岡自動車]]やカワキタのように[[アジア圏]]へ輸出するメーカーもある。葬儀関係車両の輸出は、国内メーカーではカワキタが最初となる。[[トヨタ・プリウスα|プリウスα]]([[ダイハツ・メビウス|メビウス]])、[[トヨタ・クラウン|クラウン]]、[[日産・フーガ|フーガ]]([[三菱・プラウディア|プラウディア]])、[[日産・ティアナ|ティアナ]]、[[トヨタ・カローラフィールダー|カローラフィールダー]]([[光岡・リューギ|リューギワゴン]])、[[トヨタ・プロボックス|プロボックス]]([[トヨタ・サクシード|サクシード]])、[[トヨタ・アベンシス|アベンシス]]、[[ホンダ・シャトル|シャトル]]、[[マツダ・アテンザ|アテンザワゴン]]、[[スバル・レガシィ|レガシィツーリングワゴン]]など[[国産車]]のほか、[[ボルボ・カーズ|ボルボ]]、[[メルセデス・ベンツ|ベンツ]]などどんな車両でも改造は可能という<ref name="zasshi.news.yahoo.co" />。
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* [[アドバンスト・カー・エンジニアリング]]
* [[セキュリコ]]
* [[ジャパンネクスト]](福岡の霊柩車製造会社)
* [[ティ・アール・ジィ]]
* [[カワキタ]]
 
== 霊柩車にまつわる雑学 ==
*霊柩車は不浄のものと見なされ、霊柩車が走っているのを見た場合、親指を隠さないと親の死に目に会えない等の[[迷信]]が一部地域にある<ref name="zasshi.news.yahoo.co">[http://dot.asahi.com/dot/2015110100026.html プリウスを真っ二つ!? 霊きゅう車「改造工場」に潜入した! 11月5日(木)16時14分配信 若林朋子]</ref>但しこれも地域差があり、名古屋地区では全くと言っていい程知られていないという。これらの出どころは詳らかでない
 
*霊柩車のプラモデル・ミニカーは欧米圏で比較的数多く登場しているが、日本では車両の性質上ほとんど製品化されていない。唯一の例外として米沢玩具(現:[[アガツマ]])のミニカー「ダイヤペット」が[[1980年]]にファンクラブ会員限定品として[[リンカーン・コンチネンタル]]をベースとした宮型霊柩車・神宮寺型四方破風大竜造」を限定発売した。製品の監修は当時霊柩車製造の最大手メーカーだった米津工房(2002年倒産)が行っおり、同社によ解説書とお守りが同封されていた
 
== 鉄道車両 ==
かつて[[鉄道車両]]にも霊柩車は存在した。
=== 鉄道院・鉄道省 ===
[[英照皇太后]]・[[明治天皇]]及び[[大正天皇]]の崩御の際に、その遺体を輸送するために[[皇室用客車#霊柩車|霊柩車]]が製作された。皇族以外の者では[[病客車]]によって遺体が搬送された記録が残っている<ref>[[東海道本線]]で[[大磯町|大磯]]から[[京都市|京都]]まで運ばれた[[新島襄]]や、[[東北本線]]で[[東京]]から[[盛岡市|盛岡]]に運ばれた[[原敬]]の例がある。</ref>。
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; 東京
: [[東京]]は[[江戸時代]]以来、[[下町]]に人口が集中していたが、大正5年([[1916年]])頃から東京への人口集中が更に進み、下町では[[住宅]]不足に陥っていた。そのため、[[]][[ススキ]][[草原]]だった[[武蔵野]][[多摩]][[宅地開発]]が行われるようになり、火葬場も下町からこれらの地域に移転した。[[1921年]](大正10年)になると、当時はまだ[[インターアーバン]]であった京王電気軌道(現・[[京王電鉄]])に霊柩電車を走らせる計画が浮上した。京王線沿線には[[多磨霊園]]があり、京王線から霊園まで既存の[[道路]]に[[軌道 (鉄道)|軌道]]を敷設することを想定していたが、大阪同様に都市化の進行とともに自動車が普及し、この計画も実現されなかった<ref>『[[#小川 (2010)|封印された鉄道史]]』(p44, p45)</ref>。
 
== 脚注 ==