「東ローマ帝国の皇帝一覧」の版間の差分

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|1204年
|第4回十字軍にコンスタンティノポリスを攻撃され、アレクシオス5世ドゥーカスが逃亡したあと、首都防衛に活躍していたコンスタンティノスが皇帝に選出された。しかし、コンスタンティノポリスが陥落してしまったために在位たった一晩で逃亡した。このためコンスタンティノス・ラスカリスを皇帝として扱わない場合もある。また、コンスタンティノス・ラスカリスを「コンスタンティノス11世」とし、帝国最後の皇帝を「コンスタンティノス12世」とする場合もある
|[[1211年]]頃?
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1204年のコンスタンティノス・ラスカリスは、第4回十字軍によるコンスタンティノポリス攻撃の最中に皇帝に選出されたものの、コンスタンティノポリスが陥落してしまったために在位たった一晩で逃亡した。
このためコンスタンティノス・ラスカリスを皇帝として扱わない場合もある。また、コンスタンティノス・ラスカリスを「コンスタンティノス11世」とし、帝国最後の皇帝を「コンスタンティノス12世」とする場合もある。
 
== ラスカリス朝(ニカイア帝国・東ローマの亡命政権) ==
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|[[1175年]]頃
|[[1205年]] - [[1222年]]
|コンスタンティノス・ラスカリスの弟。コンスタンティノポリス陥落に際し、その直前に即位した兄らと共に首都を脱出した。付き従った一団を率いて、[[ビテュニア]]に赴いて[[ニカイア]]に定住。東ローマ帝国の亡命政権としての「ニカイア帝国」を樹立し、兄から権力を譲られ皇帝に即位。他にも亡命政権は存在したが、後にニカイア帝国が首都コンスタンティノポリス奪還したため、この帝国がローマの正統政権とされる
|1222年
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|[[1405年]][[2月8日]]
|[[1449年]][[1月6日]] - [[1453年]][[5月29日]] <br> (最後の皇帝)
|マヌエル2世とイェレナ・ドラガシュの四男(五男)。兄の死後、弟デメトリオスとの間に後継者争いが起きたが、最終的にコンスタンティノスが[[モレアス専制公領]]の首都[[ミストラス]]で即位。オスマン帝国の侵略から東ローマ帝国を防衛しようとするが、1453年に首都コンスタンティノポリスが陥落、乱戦の中で戦死する。これをもって古代のローマ帝国の正統の後継国家であった東ローマ帝国は滅亡する
|1453年5月29日
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