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{{タイ君主表|
|name = ラーメースワン王|
|name_th = พระราเมศวร|
|title =  |
|dynasty = [[アユタヤ王朝]]2代目・5代目|
|area =  |
|family = [[ウートーン家]]|
|birth = [[1339年]]|
|reign = [[1369年]] - [[1370年]]<br>[[1388年]] - [[1395年]]|
|alt_name =  
}}
'''ラーメースワン'''(Ramesuan、[[1339年]] - [[1395年]])は[[タイ王国|タイ]]のアユタヤ王朝の王の1人。[[ウートーン家]]と[[スパンブリー家]]の争いのため地位が安定せず、アユタヤ王朝史上唯一の二、2回も王位に就くことになった王である。ラーメースワンとはアユタヤ王朝初期100年間、皇太子の称号として使われていたものである。父親、ラーマティボーディー1世のもとでは[[ロッブリー]]の王であったが、父が死亡すると皇太子としてその後をついで王になった。[[クメール王朝|クメール]]遠征では[[アンコール・トム]]の攻略に失敗。スパンブリーの王であった[[パグワ]]の加勢を得てようやく攻略に成功した。この後、ラーメースワンの権威は失墜し、パグワの権限が高まったためパグワはアユタヤにりクーデターを実行した。後にパグワが崩御しその息子[[トーンチャン]]が王位に就くと、ラーメースワンは[[アユタヤ]]へ登りクーデターを起こし、王位に再び就いた。その治世中にはクメールや[[チエンマイ]]を攻撃した。
 
== 関連項目 ==
* [[タイ君主一覧]]
 
{{タイ国王|1369-1370、1388-1395}}