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=== 現役時代 ===
[[1980年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1980年のドラフト]]3位で[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]に入団。7年連続[[ゴールデングラブ賞|ダイヤモンドグラブ賞]]を獲得していた名[[遊撃手|ショートストップ]]・[[大橋穣]]からポジションを奪い取る形となり、打率は悪いものの新人ながら全試合出場を果たす。{{by|1983年}}には35[[盗塁]]をマークし、[[打率]]も.260とまずまずの成績を残す。{{by|1984年}}には[[1984年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]の遊撃手部門でプロ入り同期の[[石毛宏典]]([[埼玉西武ライオンズ|西武]])を抑えて1位で選出。チームが5年ぶりにリーグ優勝したこの年に、初の3割を打ち[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]とダイヤモンドグラブ賞を受賞した。{{by|1987年}}にもゴールデングラブ賞(前シーズンにダイヤモンドグラブ賞より改称)を受賞。[[小川博文]]の台頭で{{by|1989年}}から試合数が減り{{by|1991年}}に33歳という若さで引退した。
 
応援歌は最終年を除き社会人時代の「新日鉄マーチ」の替え歌だった。
 
=== 指導者として ===