「岩野泡鳴」の版間の差分

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*[[1906年]](明治39年)33歳 初の小説「芸者小竹」、評論「神秘的半獣主義」を発表する。夏休み、戯曲を書くため日光の温泉に滞在中、芸者吉弥と痴情に耽る(「耽溺」)
*[[1908年]](明治41年)35歳 父が死去し旅館日の出館を引き継ぐ。紀州から上京した増田しも江が上京し、これを愛人とする。しも江はいざこざの中で毒を飲むが助かる(「毒薬を飲む女」)
*[[1909年]](明治42年)36歳 「耽溺」を発表し、自然主義の作家として認められる。北海道へ渡るが、蟹缶詰製造業はうまく行かず、樺太、北海道を転々とし、あとから追ってきたしも江と心中し損ない、上京中にしも江と別れる。この体験が「泡鳴五部作」(「発展」「毒薬を飲む女」「放浪」「断橋」「憑き物」)に反映する。帰京後、女権運動をしていた[[遠藤清子]]を訪ね、同棲する。
*[[1910年]](明治43年)37歳 自伝小説「放浪」を刊行する。「[[毎日電報]]」に続編「断橋」を連載(この間[[東京日日新聞]]となる)。
*[[1911年]](明治44年)38歳 「大阪新報」に入社し箕面線池田に清子と住む。自伝小説の冒頭に来るべき「発展」を連載。清子は創刊された『[[青鞜]]』に参加し岩野清子と名乗る。
*[[1912年]](明治45・[[大正]]元年)39歳 幸子と正式に離婚。刊行した『発展』が発売禁止となり、「朝日新聞」紙上に抗議文を掲げる。大阪新報を退社して帰京。養蜂に熱中する。
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*泡鳴詩集 金尾文淵堂 1906
*闇の盃盤 日高有倫堂 1907
*耽溺 易風社 1910 のち新潮社代表的名作選集、岩波文庫、角川文庫、講談社文芸文庫
*放浪 泡鳴五部作 東雲堂 1910
*毒薬を飲む女 泡鳴五部作、「耽溺・毒薬を飲む女」講談社文芸文庫 2003
*炭屋の娘 岡村盛花堂 1913
*五人の女 春陽社 1913
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*公爵の気まぐれ 学芸書院 1920
*'''泡鳴全集''' 全18巻 国民図書 1921-1922
*岩野泡鳴選集 第1-21・2巻 三興書林 1948
*泡鳴五部作 1955 (新潮文庫) (上下) 1955、復刊1994
*'''岩野泡鳴全集''' 全16巻別 臨川書店 1994‐971994‐1997
 
=== 評論 ===
*[[神秘的半獣主義]] 左久良書房 1906 
*新体詩の作法 修文館 1907 (作文叢書)
*新自然主義 日高有倫堂 1908 日本図書センター 1990 (近代文芸評論叢書)
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== 翻訳 ==
*表象派の文学運動 [[アーサー・シモンズ|アサ・シモンズ]] 新潮社 1913
 
== 関連項目 ==