「成瀬正一 (フランス文学者)」の版間の差分

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学生時代からロマン・ロランと文通し、ロランに会った最初の日本人である(1918年7月)。第一次世界大戦中スイスに亡命中のロランとの3週間にわたる率直な心の交流については、ロラン著「戦時の日記」(『ロマン・ロラン全集』みすず書房)に詳しく書かれている。
 
松方幸次郎のパリのベルネーム・ジューヌやディラン・リュエル等画商めぐりに屡々同行し、特にクールベとギュスターブ・モローの作品購入を勧めた。パリ郊外ジベルニーのモネ邸には、妻の福子、松方幸次郎、矢代幸雄黒木三次・竹子美術評論家松方の姪夫妻[[坂崎坦]](美術史家)などを伴って80歳を超えたクロード・モネを訪れ、モネの長男の妻ブランシュ・オシュデや次男ミッシェルとも親交が深かった。1923年には、[[ジョルジュ・クレマンソー]]と共にヌイイの病院に白内障の手術のため入院していたモネを見舞っている。
 
==著作==
*故成瀬正一教授記念事業会委員編『仏蘭西文学研究』第1輯、白水社、1938年5月。
*故成瀬正一教授記念事業会委員編『仏蘭西文学研究』第2輯、白水社、1939年10月。
*トルストイ ロマン・ロラン 新潮社、1916(芥川龍之介、久米正雄、菊池寛、松岡譲との共訳だが成瀬名義)
 
==参考文献==