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アッシリア人は[[セム語族]]に属するアッカド語の北方方言、アッシリア語を用いた集団であるが、非セム語を用いた集団もアッシリア人の形成にかかわっていたと考えられる。また、その民族形成の背景となった上記の地理条件もあって、アッシリア商人は特に古アッシリア時代の200年間はオリエント各地で活躍し、アナトリア半島のカネシュ(現[[キュルテペ]])など現地の都市に隣接してカールム(港の意)と呼ばれる商業拠点集落を数多く形成していた。
 
アッシリア、すなわちアッシュル国家は本来はアッシュル市を中心とする狭い範囲を版図とした。歴史の初期には[[ウル第三王朝]]の覇権下にあり、またその長い歴史の中で何度も周囲に覇権を拡大してはまた、その覇権を失って新たに台頭した大国、例えば[[バビロン第1王朝|バビロン第一王朝]]や[[ミタンニ]]などの覇権下に屈した。しかし諸民族と国々の興亡の激しいオリエント世界で例外的な一貫性をもってよくその中央集権的な国家体制を維持し、[[鉄器時代]]に入った紀元前千年紀前半、いわゆる新アッシリア王国と呼ばれた時代にオリエント全域を征圧・支配する大帝国を打ち立てた。しかし、この大帝国が衰退、解体するとともに滅亡し、その1400年間に及ぶ長い歴史に終止符を打った。しかし、この大帝国を統治する制度的な技術はこの後オリエントの広域に覇権を打ち立てた[[新バビロニア|新バビロニア王国]]や、[[アケメネス朝|アケメネス朝ペルシア]]に受け継がれた。
 
=== 国家体制 ===