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ノルウェーにおけるキリスト教化は[[:en:Haakon I of Norway|ホーコン1世]]の治世に始まった<ref name="tunoda_051">[[#角田1955|角田1955]]、p.51。</ref>。オーラヴ1世や[[:en:Olaf II of Norway|オーラヴ2世]]に代表されるように、ノルウェーでは支配者が国外へ遠征した際に帰依し、即位した後に率先して布教に努めるといった傾向が強かった<ref name="tunoda_051"/>。オーラヴ2世はイングランドの宣教師を自国に招きキリスト教の普及に尽力した。ノルウェーの[[北欧神話|異教]]からキリスト教への移行はほとんどイングランドの宣教師によって成されたものだった。王の洗礼とそれに続く国によるキリスト教化の政策により、伝統的な[[シャーマニズム]]は時代に取り残され、迫害の対象になった。スカンディナヴィア古来の伝統に則った祭り事([[:en:seid|seid]])を執り行う祭司([[:en:Völva|Völva]])たちは、11世紀から12世紀に興隆した新たなキリスト教を信奉する為政者たちによって処刑されるか追放される憂き目にあった。
 
アイスランドは[[1000年]]にノルウェーからの圧力でキリスト教化した。施設の破壊を伴う強硬な布教は住民達に退けられたが、穏健な形での布教は受け入れられ島内にキリスト教徒と異教徒の派閥が発生したため、王を頂かず[[アルシング|合議制]]によって独立を維持するアイスランドの「共同体」としての国家運営に宗教問題は支障をきたす恐れが有った。そこで[[ゴジ]](首長)の一人[[リョーサンヴァトンのソルゲイル・ソルケルスソン|リョーサンヴァトン<!--農場-->のソルゲイル・ソルケルスソン]]に判断が委ねられた。彼自身は異教徒であったがキリスト教徒との付き合いも多く、中立的な見解を示されると期待されたからである。そしてソルケルスソンは全島民は[[アイスランドのキリスト教化|改宗]]すべきであるという決断を下した。しかし古き信仰にまつわる慣習については、目に触れない範囲であれば行ってもよい(但し見つかって「訴えられれば」処罰される)旨も取り決めの中に含まれていた<ref>[[#バイヨック1991|バイヨック1991]]、pp.148-150。</ref>。
 
スウェーデンのキリスト教化には更なる時間を要した。[[1008年]]頃スウェーデン王[[オーロフ (スウェーデン王)|オーロフ・シェートコヌング]](在位:994年-1022年) が洗礼を受けたのが始まりだが、[[12世紀]]まで歴代の王が[[ガムラ・ウプサラ]]での大犠牲祭の司祭を務めるなど、古来の慣習に則った宗教行事は11世紀の終わり頃まで地方の共同体で普通に行われ続けていた。[[1066年]]、短い期間で終息した[[内戦]]により、初めて国内における古来の宗教を執り行う勢力とキリスト教を支持する勢力の対立が浮き彫りになった。12世紀中頃にキリスト教勢力は大勝利をおさめ、[[1164年]]、異教の中心地[[ウプサラ|ガムラ・ウプサラ]]にのちに[[ウプサラ大司教座]]に発展する教会を建設した<ref>[[#百瀬1998|百瀬1998]]、pp.53-54。</ref>。