「ポーランド復興勲章」の版間の差分

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ポーランドが独立を1918年独立を回復した際、政府はこの勲章を廃止した。というのも、ロシアは栄典の規則をひどく濫用し、新生独立ポーランドの目から見て、ポーランドやその文化の破壊に責任がある者にまで授与されていたからである。その代わりにポーランド復興勲章が制定され、聖スタニスワフ勲章の本来の価値に見合う業績に対し授与されることになった。ポーランド復興勲章は、1921年2月4日に制定され、[[ユゼフ・ピウスツキ]]元帥が7月13日に初めて受勲した。またこの勲章は外国人に対する主要な勲章ともなり、外務大臣から授与された。
 
[[第二次世界大戦]]後、1944年、ポーランド復興勲章は新しい社会主義政権の栄転制度に組み入れられた。形や色はそのままにされたが、ポーランドの白鷲の王冠は無くされた。また十字の裏側の日付は1944年と改められた。共産主義の管理の元にあってもこの勲章はその価値を元のまま保ち、共産主義者の鏡とは到底言いがたい人物にも多く授与された。乱発されることも無く、むしろ乱発されたのは伝統的な共産主義的な賞の方であった。この期間は、外国人には、ポーランド復興勲章より価値は低いものの、ポーランド共和国功労勲章が好んで授与された。1990年までは戦前のデザインの勲章が[[ポーランド亡命政府]]によっても授与されていた。1990年12月22日、ポーランド亡命政府は彼らのポーランド復興勲章の権利を非共産主義となったポーランド政府に返還した。価値を見出せない授与が取り消されただけで、共産主義政府の授与した勲章でも他の事と同じくそのステータスを保持している
 
== 階級 ==