「東南アジア諸国連合」の版間の差分

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== 対外関係 ==
=== {{JPN}}日本 ===
ASEANの発足当初から[[日本]]は緊密な関係を維持し、[[1970年代]]より頻繁に首脳、外相レベル会談を行ってきている。[[1974年]]に[[田中角栄]]首相が東南アジアを歴訪した際には日本の経済進出に反発する現地住民からの反対デモが発生した ([[マラリ事件]]) が、それ以後も両地域の関係は概ね順調に推移した。日本にとって東南アジアはインドネシアの石油・マレーシアの天然ゴムなどの原料供給地として重要で、さらに低賃金で良質な労働力を得られるタイやマレーシアなどは日本の製造業が海外進出をする際の有力な相手国となった<ref>これは中国が改革開放へまだ進んでいなかった1970年代に顕著だった。</ref>。また、アメリカへの従属度が高い日本外交にとって東南アジアはその独自性を発揮できる数少ない場で<ref>ASEAN発足前の1950年代から、第二次世界大戦の戦時賠償交渉などを機に日本からの援助の働きかけがあり、東南アジア諸国にも[[スカルノ]]などの知日派指導者が多くいた。</ref>、[[1978年]]の[[福田ドクトリン]]などが発表された。ASEAN側にとっても、地域内での覇権を求めず経済面での利益を追求する日本の進出は好都合で、両者の関係はさらに深化した。
 
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日本がアセアンとの[[価値観外交]]を進めるに当たっては、港や道路などハードのインフラの整備だけでなく、投資環境整備にもつながる[[法整備支援]]や、人材育成といったソフトのインフラ整備への協力を、日本の役割として位置付けることが重要と指摘されている<ref name="jiron kouron"/>。
 
=== {{EUR}}欧州連合 ===
独立王国を維持したタイを除くASEAN諸国はいずれも現在の[[欧州連合]](EU)加盟国の植民地となり<ref>フィリピンは[[1898年]]の[[米西戦争]]でアメリカ領になるまでは[[スペイン]]が支配した。</ref>、経済・文化面でも大きな影響を受けた。[[第二次世界大戦]]による日本軍の占領は各地での独立運動を活性化して戦後の独立につながり、特にインドネシアは[[インドネシア独立戦争|独立戦争]]後もオランダ領ニューギニア([[イリアンジャヤ]])や[[東ティモール]]<ref>東ティモールでは[[ポルトガル]]による植民地統治が放棄され、独立が宣言された直後にインドネシア軍が占領した。</ref>への侵攻を行い、民族自決権の損害と侵害とこれを非難する西ヨーロッパ諸国との対立が生じていた。
 
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[[2007年]][[11月21日]]には公式関係30周年を記念して、初の首脳会議がシンガポールで行われた。
 
=== {{USA}}アメリカ ===
元来、ASEANが軍事同盟の[[東南アジア条約機構]](SEATO)を補強する役割を担っていたように、加盟諸国とアメリカは強い関係を保っていた。1975年のベトナム戦争終結により1977年にSEATOが解散しても両者の協力関係は変わらず、ASEANは資本主義諸国を束ねる国際政治システムの事実上の一部として機能していた。冷戦の終了によりASEANから反共政治同盟の色彩が薄まり、ベトナムが加盟<ref>ベトナム政府によるアメリカとの国交樹立交渉はASEAN加盟交渉と並行して進められ、1995年7月の加盟に続いて8月にアメリカとの国交が成立した。以後、両国は急速に接近した。</ref>してもアメリカはASEAN諸国との友好関係を維持し<ref>ただし、軍事政権による人権侵害や民主化運動の弾圧が続くミャンマーに対しては、アメリカは国交を結ばず、経済制裁を科している。</ref>、現在でもASEAN諸国(東南アジア)はアメリカにとって重要な市場かつ原料供給地である。また、中国による[[南沙諸島]](スプラトリー諸島)支配などの[[南シナ海]]進出に対しては、これに反発し警戒するASEAN諸国の立場をアメリカが支持している。
 
しかし、マレーシアの[[マハティール・ビン・モハマド|マハティール]]政権が「[[ルックイースト政策]]」でアメリカではなく日本を経済発展のモデルとし<ref>しばしば勘違いされるが[[バブル景気]]はこの10年後であり全く関係ない</ref>、[[国民車構想]]で自動車産業の自立を進めるなど、経済面ではASEANとアメリカとの間にさざ波が立つ事がある。アジア全体の経済や国際世論をリードしようとするASEANの狙いは[[1996年]]にASEM開催として結実したが、自国抜きで多国間協調が深化する構図に対してアメリカは警戒感を隠さず、[[東アジア共同体]]提唱に対するアメリカの反発などに繋がっている。
 
=== {{PRC}}中華人民共和国 ===
ASEAN発足時の[[中華人民共和国]](中国)は[[文化大革命]]の最中で、[[毛沢東主義]]による社会主義革命の輸出を熱心に唱えていた。また、ASEAN諸国の多くでは少数派の中国系住民([[華人]])が経済の実権を握り、国家指導者を輩出する原住民との関係が微妙だった上、過去には華人中心の[[マラヤ共産党]]による武装闘争やインドネシアの[[9月30日事件]]もあったため、ASEAN諸国政府が持つ中国への警戒感が非常に強かった<ref>マレーシアから分離したシンガポールは中国系が人口の過半数を占める唯一のASEAN加盟国で、これによりインドネシアの[[スハルト]]政権による軍事侵攻の脅威を自認していたため、自らも中国系である[[リー・クワンユー]](李光耀)首相指導下の[[人民行動党]](PPP)政権は自らの中国的な色彩を徹底して払拭し、中国との外交関係も長年結ばなかった。</ref>。1980年代に入ると[[ニクソン大統領の中国訪問]]から西側と関係強化していた中国は[[改革開放]]路線となり、カンボジア内戦では、中国が支援する[[クメール・ルージュ]](ポル・ポト派)やASEAN諸国(特にタイ)の支持を受けた[[ノロドム・シハヌーク|シアヌーク派]](王党派)などが協力した[[民主カンプチア]]三派連合政府が成立した。
 
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一方、政治面ではASEAN諸国の対中警戒心が解けていない。特に南シナ海中央部の南沙諸島(スプラトリー諸島)や同海北部の[[西沙諸島]](パラセル諸島)の領有権を中国とベトナム・フィリピンなどが争い、中国海軍が両諸島に基地を設けている事はASEAN諸国から問題とされ、不安定要因になっている。
 
=== {{ROC}} 中華民国(台湾) ===
{{出典の明記|section=1|date=2013年2月}}
[[中華民国]]はASEAN発足当時にはマレーシアを除く加盟諸国との外交関係を持っていたが、1990年以降は消滅している。しかし、非公式な外交関係や幅広い経済協力は続いている。中でもシンガポールとは[[1975年]]に締結した「星光計画」が依然として有効で、シンガポール軍は台湾での軍事演習を続け、中国による武力侵攻の場合にはシンガポールが支援する取り決めがあるとも言われている(ただし、[[リー・クアンユー]]は台湾に武力侵攻の場合は中国は2週間先に事前通告するよう要求してる<ref>2003年8月24日付「中国時報」</ref>)。なお、中華民国も南沙・西沙諸島の領有権を主張し、南沙諸島には軍事基地を設けている。