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[[File:Safehealth.JPG|right|thumb|250px|台湾初の縁起切符:永保安康]]
1891年(光緒17年)、初代[[巡撫|台湾巡撫]][[劉銘伝]]の任期中に[[全台鉄路商務総局鉄道|清朝台湾鉄路]]の'''[[基隆駅]] - [[大稲テイ駅|大稲埕駅]]'''(初代[[台北駅]])間が開業後、[[日本統治時代の台湾|日本統治時代]]の路線網拡充を経て大衆交通手段として定着した。
その後[[中山高速公路]]の全通(1978年)を機に[[モータリゼーション]]の発達とともに[[台湾鉄路管理局]](台鉄)や[[台湾糖業鉄道]]は廃線が相次いだが、[[台湾高速鉄道]]や各都市の[[捷運]]の開業とともに台鉄も競争力向上を目指して、次世代車の導入や[[観光列車 (台湾)|観光列車]]の運行、日本国鉄の『[[愛国駅]]と[[幸福駅]]』から影響を受けたとされる縁起もの切符([[永康駅]]と[[保安駅]]の「永保安康」が最も有名。永から時計回りに4文字を読むと『安らかな生活と健康な体を永遠に保つ』という縁起のよい文になる)の発売(詳細は[[:zh:吉祥語車票]]を参照)、リバイバル列車の運行など、単に移動手段としての鉄道ではなく趣味分野を含めて付加価値を意識した事例が増えてきている。
既述のとおり[[1987年]]までは戒厳令により、撮影や出版には制限が多かった。[[1988年]][[6月9日]](鐵路節:台湾における[[鉄道の日]])には[[国立
[[鉄道模型]]も当初は富裕層を中心に日米欧の輸入製品を嗜む高根の花であったが、[[2003年]]に創業した[[鐵支路模型]]により近年は国内列車型式の製品化、量産化が相次いでいる。
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